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展示室5【集治監と囚人】

三笠市は炭鉱とともに発展してきた歴史をもつ街ですが、1882年(明治15年)に設置された空知集治監(そらちしゅうじかん)もその歴史に重要な役割を果たしています。
集治監とは、現在の刑務所に当たる施設です。北海道の開拓期にあたる明治初期には、三笠を含めて、北海道の各地に集治監が設置されました。それは、当時未開の地であった北海道に、凶悪犯や政治犯からなる囚人を送り込むことによって、彼らを本州から隔離でき、これらの囚人を開拓の労働力として用いることで経費の節約ができ、さらに刑期を終えた囚人が北海道に定住するようになれば、北海道の人口を増やすことにもなる、という利点を見据えてのことでした。1881(明治14)年に、北海道で初めての集治監「樺戸集治監」が月形町に設置され、次いで、翌1882(明治15)年に、二番目の集治監として三笠に置かれたのが、「空知集治監」です。空知集治監は、1891(明治24)年に「北海道集治監 空知分監」への名称変更を経て、1901(明治34)年に廃止されるまで、囚人たちが開拓や石炭の採掘などの作業に従事しました。気候風土の厳しい北海道での使役によって、囚人たちには数多くの犠牲者が出ています。この展示室では、そうした空知集治監の資料を中心に、和人到来以前の考古資料なども展示しています。
なお、この展示室では写真撮影は自由(三脚は不可)ですが、展示資料には手を触れないでください。 
 

空知集治監

空知集治監の跡地に現在も残っている建造物は、典獄(所長)官舎のレンガ煙突しかありません。博物館では、集治監の建物に関する貴重な資料である、建物の瓦やレンガ、柱などを展示しているほか、当時の建物配置を示した図面やジオラマを展示しています。


空知集治監の看守たち

集治監には看守が多数務めており、彼らが定住し、それによって集治監の周囲に集落が形成されたのが、三笠という町が大きくなっていく原動力になりました。この展示室では、三笠市指定文化財である初代典獄(=刑務所長)渡辺惟精(わたなべこれあき)の日記に加えて、看守の着用した制服や装備品、集治監内で業務のために作成された書類などを展示しています。


囚人の製作した調度品

空知集治監は、北海道にあった集治監として唯一、囚人が刑務作業として、石炭の採掘に携わっていました。しかし、すべての囚人が炭鉱で働いていたわけではありません。この展示室では、囚人が製作した、たんす、火鉢、文机などの調度品も紹介しています。


水道管(三笠市指定文化財)

集治監には、多数の囚人を収容する予定であったため、水の確保が課題でした。そのため、集治監の設置当初から、水道の建設を検討していました。実際に水道設置の許可が降りたのは1886(明治19)年で、敷設工事は1888(明治21)年から始まりました。水源地は、集治監の北東約3kmの場所に位置するヌッパの沢で、そこから集治監までは、鋳鉄の水道管がひかれました。金属製の水道管としては、函館市のものとほぼ同時期であり、北海道ではほぼ最初の、全国的にもの最初期のものです。
この水道は、集治監のみならず、周囲の集落に対しても水を供給していました。鉄が高価であった設置同時、分水用の水道には木製の管も多く用いられていました。この水道は、昭和初期まで実際に使用されていました。



考古資料

三笠市内では、縄文文化晩期~続縄文文化のものと推定される石器や土器が見つかっていますが、骨角器の類はまだ発見されていません。組織的な発掘調査が行われていないため、市内の縄文遺跡についてはまだよくわかっていないことも多いのです。



 

 

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