9.市来知村の開村
明治12(1879)年に幌内炭鉱が設置されると、ようやくこの地にも人々の往来が繁くなるようになりました。明治15(1882)年に空知集治監が設置されると、そこで働く人々や、彼らに飲食を提供する人々も集まり、何もなかった土地に、戸数87戸、人口617人という集落が出来上がり、ついには三笠市の前身となる市来知村(いちきしりむら)が開村しました。
市来知村戸長役場
初めは、この村には役場はありませんでしたが、人口の増加にともない、2年後の明治17(1884)年9月になって役場が設置されました。なお、明治16(1883)年に開村した幌内村(現在の三笠市幌内)も同年に役場が設置されました。
その後、明治22(1889)年には幾春別村(現在の三笠市幾春別)が開村し、明治39(1906)年4月には、市来知、幌内、幾春別の3つの村が一つとなって、「三笠山村」が誕生しました。
この後、昭和17(1942)年に「三笠町」、昭和32(1957)年に「三笠市」となった今でも「三笠」がまちの名前として使用されています。