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13.炭鉱の閉山
13.炭鉱の閉山
明治の頃から日本の近代化を支えた石炭ですが、昭和37(1962)年の原油(石油)の輸入自由化に伴って、日本は石油というエネルギーを使用するようになりました。
その影響や炭鉱での事故なども重なり、幾春別炭鉱は昭和32(1957)年、奔別炭鉱は昭和46(1971)年、幌内炭鉱は平成元(1989)年に閉山しました。
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三笠一億年の歴史をひもとく
1.アンモナイトが生きていた海
2.石炭になった湿地の植物
3.寒冷な海
4.現在の地形と北海道
5.三笠における人類の痕跡
6.燃える石「石炭」の発見
7.空知集治監の設置
8.幌内鉄道の敷設
9.市来知村の開村
10.大炭鉱時代
11.炭鉱まちの生活
12.炭鉱まちの文化
13.炭鉱の閉山
14.現在の三笠
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