カテゴリイメージ

野外博物館エリア〜大地の躍動と文明の鼓動

1億年前と5000万年前の大地の記憶、そして人々の営みの記憶がひとまたぎで体感できるルートで、地層、石炭、炭鉱を歩きながら楽しむことができます。

  

三笠ジオパークの各種パンフレットのダウンロードはコチラ!!


3.森林鉄道跡:良質な木材を求めて

幾春別の森林鉄道は、桂沢(現在の桂沢湖)の奥地で切り出された木材を運び出すために、昭和13(1938)年から昭和31年(1956)年まで運行していました。桂沢付近は、古くから良質なエゾマツやトドマツが多く生えることで知られ、江戸時代(1700年代)から木材が切り出されていました。

  

森林鉄道の蒸気機関車(昭和28年)
 

野外博物館は、この森林鉄道跡を利用して平成2(1990)年に整備されたもので、動植物や地層を観察できる散策路となっています。
 
 

4.幾春別層:5000万年前の河川の地層

幾春別層は、約5000万年前に形成された地層です。主に川の底に砂や泥がつもった地層で、砂岩層、泥岩層、石炭層からなります。

対岸に見える大きな露頭で、出っ張っている所が砂岩層、へこんでいる所が石炭層または泥岩層となっています。これは、砂岩層は石炭層や泥岩層に比べて硬いため、長い年月風雨による浸食作用を受けると、より軟らかい石炭層や泥岩層は先に削られ、より硬い砂岩層は削られずに残るためです。このような現象を差別浸食といいます。

 

石炭大露頭(明治30年)


5.旧幾春別炭鉱錦立坑櫓:現存する道内最古の立坑櫓

大正9(1920)年12月に完成したとされ、現存する立坑櫓では道内で最も古いものです。この立坑は、櫓の高さが約10m、地下約215mの深さがあります。櫓の鉄骨には「SEITETSUSHO YAWATA」と記されており、九州にある八幡製鉄所で製造されたものが使用されています。
 
旧幾春別炭鉱錦立坑櫓(選奨土木遺産)


 

6.旧錦坑坑口:最深部は地下約450m

この付近の石炭層(幾春別層)はほぼ垂直に立っており、南と北の方向に延びるように分布しています。坑口から垂直に約197m下った深部には、炭層に沿っていくつもの坑道が延びていました。

錦坑坑口は地下で錦立坑とつながっており、石炭はここから現在の三笠市立博物館の近くにあった選炭場へトロッコで運び出され、石炭とズリ(不要な土砂)に選り分けられていました。
 
旧錦坑坑口(選奨土木遺産)



7.石炭:黒いダイヤ ※保護・保全のため、石炭を持ち出さないで下さい。

石炭は、主に河川周辺の湿地に生息していた植物が地層中に埋没して、長い時間をかけて高い温度と圧力によって変質した燃える岩石です。

発熱量などの違いから無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭に区分され、このうち三笠の石炭は瀝青炭や亜瀝青炭に分類されます。

石炭は近代日本の産業を支える重要なエネルギー源で、「黒いダイヤ」「黒の宝石」などと呼ばれていました。
 

地表に露出した石炭層
 
 

8.垂直な地層:力強い大地の動き

この付近の地層はほぼ垂直に立っています。地層は、主に川や海などの水の中で砂や泥がつもって形成されますが、その時はほぼ水平です。しかし、実は大地は少しずつ動いており、これはその動きによって垂直になるまで地層が押し曲げられてできたものです。

このように、長い年月をかけて少しずつ押されると硬い岩石も押し曲げることができます。三笠付近の垂直な地層は、約1300万年前から始まった日高山脈の上昇期に大きな力を受けてできたと考えられます。

垂直な地層 


9.狸掘り跡:不思議な穴

狸掘りとは、地表に見える石炭層などを追って掘り進む採掘方法です。タヌキの巣穴に似た不規則なトンネルが作られることから、このように呼ばれています。

この付近の石炭層はほぼ垂直に立っているため、この狸掘り跡はほぼまっすぐ奥へ掘り進められています。掘られていた正確な時期は不明です。
 

狸掘り跡
 


10.ひとまたぎ5千万年:地層が一気にタイムスリップ

この付近では、約5000万年前の地層(幾春別層)の隣に約1億年前の地層(三笠層)が分布しており、2つの地層の境界線をまたぐと、一気に5000万年もの時間を飛び越えることができます。

ふつう地層は、古いものから新しいものへと連続して作られるものなので、1億年前の地層にいきなり5000万年前の地層が接することはありません。これは、本来あるはずの5000万年分の地層が、1億年前から5000万年前の間に一度大地が陸化したことによって、浸食で削られてなくなってしまったと考えられます。
 
ひとまたぎ5千万年(ひとまたぎ覆道)


11.三笠層:1億年前の浅い海の地層

三笠層は、約1億年前の白亜紀と呼ばれる時代にできた地層です。主に浅い海の底でできた地層で、砂岩層や礫岩層からなります。この地層からは、アンモナイトや二枚貝、巻貝をはじめ、翼竜の骨やサメの歯などの化石も多く見つかっています。
 

礫岩層と砂岩層が何度もくりかえしつもってできた地層になっている
 
 

12.断層:大地の動いた証拠

大地は少しずつですが絶えず動いています。そして地層に力が加わって割れ、その割れた面に沿ってずれ動いた結果生じた、地層と地層の食い違いを断層といいます。断層が動く現象を断層運動と呼び、これが地震の主な原因であると考えられています。
 

断層(正断層)でずれた礫岩層
 

13.イノセラムス:太古の絶滅生物

イノセラムスは約2億年前から約6600万年前まで生息した二枚貝です。世界中で繁栄し、時代によって様々な種類(形)が存在することが知られています。

北海道の1億年前の地層からは、たくさんの種類のイノセラムスが産出し、特にこの付近に分布する地層(三笠層)からは、殻の大きさが1m近くにもなる大型の種類が産出します。
 
イノセラムス化石


14.神泉隧道:人力で掘削

昭和13(1938)年から運行した森林鉄道の線路上に作られた素掘りのトンネル(隧道)です。素掘りとは、掘削するとき周りの壁が崩れてこないような工夫をせずに、そのまま掘り進む方法をいいます。周辺が約1億年前にできた硬い地層(三笠層)からできていたため、この手法がとられたと考えられます。
 

神泉隧道の内部の様子
 
 


15.鏡肌:断層が作った自然の“鏡”

地層が動いたときにできた地層のずれのことを断層といいます。鏡肌とは、断層をはさんだ両側の岩石が互いにずれてこすり合って磨かれてできた、鏡のように滑らかで光沢をもった面(断層面)のことをいいます。しかし、ここで見られる鏡肌は長い年月の風化により、その光沢が失われています。

鏡肌上には、地層がずれて動いたこすり傷(条線)を観察できることが多く、そこから地層がどの方向に動いたのかを調べることができます。
 

矢印に平行な多数の条線が見られる
 


16.神泉閣跡:文人も訪れた自然の中の温泉宿

神泉閣は、明治43(1910)年頃につくられた旅館です。当時、人が歩ける道は対岸にあったため、神泉閣を訪れるには、幾春別川を渡る必要がありました。川には吊り橋がかけられ、川中にある大きな岩に橋の支柱が立てられていました。現在でも、この岩を見ることができます。

大正10(1921)年には、「層雲峡」の命名者としても知られる文人・大町桂月(1869-1925)もこの地を訪れ、旅の疲れをいやしたとされています。神泉閣は、昭和10(1935)年から始まった森林鉄道の着工とともに廃業となりました。
 

神泉閣と吊り橋(明治末頃)
 


17.桂沢神居古潭:川が生んだ景勝地

この付近は、約1億年前の地層である三笠層が分布しており、浸食に強い砂岩層が川岸の険しい地形を作っています。そのため、古くから景勝地として知られ、その景観は旭川の神居古潭を連想させたことから、“桂沢神居古潭”と呼ばれるようになりました。この神居古潭は、神泉閣に宿泊した大町桂月が名づけたといわれています。
 

現在の桂沢神居古潭

 

お問い合わせ先

産業政策推進部商工観光課
電話:01267-2-3997
FAX:01267-2-7880

事務局 三笠市役所商工観光課内
〒068-2192 北海道三笠市幸町2番地 TEL 01267-2-3997