幌内エリア〜石炭を輸送した産業鉄道とその歴史
石炭を輸送する使命を帯びて誕生した日本初の産業鉄道「幌内鉄道」。その跡をトロッコに乗りながら楽しむことができます。鉄道記念館や幌内炭鉱の遺構からは石炭とともに歩んだ三笠の歴史を知ることができます。三笠ジオパークの各種パンフレットのダウンロードはコチラ!!
28.クロフォード公園(旧三笠駅):三笠の分岐駅
クロフォード公園には、かつて明治15(1882)年から設置されていた「幌内太(ほろないぷと)駅」と呼ばれる駅がありました。三笠における分岐点となる駅で、ここから幌内炭鉱へと続く幌内方面と明治22(1889)年から開通した幾春別炭鉱へと続く幾春別方面とに分かれていました。昭和19(1944)年には、駅名が「三笠駅」へ名称変更されました。
クロフォード公園という名前は、幌内鉄道の工事を指揮していたアメリカ人鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードに由来します。
クロフォード公園という名前は、幌内鉄道の工事を指揮していたアメリカ人鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードに由来します。
幌内太駅(明治末期頃)
29.幌内廃線(幌内鉄道):石炭を北海道から本州へ
幌内鉄道は、明治15(1882)年、幌内炭鉱から採掘された石炭を本州へ輸送するため、北海道で最初に敷設された鉄道です。日本では、明治5(1872)年開通の「東京(新橋)ー横浜間」、明治7(1874)年開通の「大阪ー神戸間」につぐ3番目で、産業鉄道としては日本で初めてのものでした。
幌内鉄道は、幌内炭鉱の閉山する平成元(1989)年の直前の、昭和62(1987)年に国鉄分割民営化に伴い廃線となりました。現在はその線路を利用して、三笠トロッコ鉄道が運行されており、クロフォード公園(旧三笠駅)から三笠鉄道村(旧幌内駅)までの約2.5kmをトロッコに乗って楽しむことができます。
幌内鉄道は、幌内炭鉱の閉山する平成元(1989)年の直前の、昭和62(1987)年に国鉄分割民営化に伴い廃線となりました。現在はその線路を利用して、三笠トロッコ鉄道が運行されており、クロフォード公園(旧三笠駅)から三笠鉄道村(旧幌内駅)までの約2.5kmをトロッコに乗って楽しむことができます。
30.三笠鉄道村(旧幌内駅):北海道の鉄道史を未来へ遺す
三笠トロッコ鉄道の終点である旧幌内駅一帯には、三笠鉄道村があります。鉄道村は、「三笠ー岩見沢間」の鉄道廃線に伴い、北海道鉄道発祥の地を記念し、また、北海道の鉄道の歴史を残すために昭和62(1987)年に設置しました。
村内では、蒸気機関車S304号やミニ鉄道が走り乗車が楽しめるほか、過去に道内各地で活躍した様々な車両が展示されています。また、実物の蒸気機関車の体験運転を行うこともできます。
村内では、蒸気機関車S304号やミニ鉄道が走り乗車が楽しめるほか、過去に道内各地で活躍した様々な車両が展示されています。また、実物の蒸気機関車の体験運転を行うこともできます。
村内を走る蒸気機関車S304号
31.旧幌内炭鉱選炭場:石炭を運び出す
地下から石炭を掘る場合、石炭とそれ以外の不要な土砂とが一緒に地上に掘り出されます。北海道ではこの不要な土砂のことを「ズリ」といいます。九州などでは「ボタ」と呼ぶところもあります。そして石炭とズリとを選り分ける作業を行う場所が選炭場と呼ばれる施設です。選炭は、人の手で分ける方法や水の浮力を利用して分別する方法など、様々な方法があります。
選炭場で働く女性たち(昭和20年代)
32.旧幌内炭鉱常磐坑:ベルトコンベアーで石炭を運ぶ
昭和13(1938)年に開坑した坑口です。坑道は地下へ向けて斜めに下っていく斜坑という坂になっています。昭和27(1952)年には、最深部が地下500m以上にも達したためベルトコンベアーで外の選炭場までつないで効率よく石炭を運び出していました。
常磐坑の隣には、坑口神社があり、炭鉱で働く人々はここで一日の無事を祈り、地下へと向かいました。
常磐坑の隣には、坑口神社があり、炭鉱で働く人々はここで一日の無事を祈り、地下へと向かいました。
33.旧幌内炭鉱音羽坑:三笠で最初の坑口
明治12(1879)年に北海道開拓使(北方開拓のために置かれた官庁)が設置した三笠で最初に掘られた坑口です。当初は大坑道と呼ばれていました。ここでは、明治16(1883)年から明治27(1894)年までの間、空知集治監(現在の刑務所)の囚人たちが働かされ、1日約800人〜1200人が石炭採掘に従事していました。北海道で唯一、囚人達による炭鉱での労役が行われた場所であり、過酷な労働の中で命を落とす囚人も多くいました。
音羽坑から石炭を運ぶ馬(明治末頃)
34.幌内神社本殿跡:地域の中心
明治13(1880)年から続いている神社の跡地です。山を守る神が祀られていて、炭鉱に関わる人々は、この神に、仕事の無事とたくさんの石炭が採れることを祈っていました。5月の炭山祭りには、空知集治監の囚人たちも仕事を休み、近くの村からもたくさんの人々が集まって相撲や芝居などを楽しんでいたそうです。
35.旧幌内炭鉱変電所:坑内に電気を
大正8(1919)年頃に建設されたとされています。この施設で、20km離れた南側の夕張の発電所から送られてくる高圧の電気を、炭鉱内の機械に使用できるような電圧に落としていました。
変電所が設置されたことで、電気で動く大型機械が登場し、石炭を採掘する効率が向上しました。また、炭鉱で暮らす人々の家えは、電灯がつくようになりました。
変電所が設置されたことで、電気で動く大型機械が登場し、石炭を採掘する効率が向上しました。また、炭鉱で暮らす人々の家えは、電灯がつくようになりました。
旧変電所
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産業政策推進部商工観光課
電話:01267-2-3997
FAX:01267-2-7880
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