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三笠エリア〜開拓を担った囚人たちの足跡

北海道初の近代炭鉱であった幌内炭鉱。そこは囚人たちの汗と努力で支えられていました。三笠にあった空知集治監(刑務所)の記憶をたどり、開拓にかけた先人たちの努力の跡を見ることができます。

  

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36.抜羽(ヌッパ)の沢:人々の喉を潤した水源地

村では数千人の囚人たちが収容されていた空知集治監や村人の飲み水を確保することがとても大切でした。そこで、明治21(1888)年から抜羽の沢に池を作り、そこから水道管を通して飲み水を引く工事が進められ、集治監や村に水が供給されるようになりました。
 
  
抜羽の沢
  
 

37.千人塚史跡公園:囚人たちが眠る場所

空知集治監の囚人たちの墓がある史跡公園です。空知集治監では、最も多い時には約3000人の囚人が収容され、労役として道路の開拓や石炭の採掘などを行っていました。そのため、事故などのケガや病気にかかる者も多く、死亡者は空知集治監のあった20年間(明治15〜34年)で1000名を超えました。

当初、囚人たちは一人一人墓に入れられていましたが、明治25(1892)年まで死亡した965人分を集めて、明治29(1896)年に「合葬之墓」が設置されました。この頃から千人塚と呼ばれるようになりました。その後、集治監が廃監となるまでに死亡した193人を加えた1158人が合葬されています。
 

千人塚史跡公園内にある合葬之墓
 
合葬之墓(右側)の隣には、自由民権運動に参加し投獄され、獄中で死亡した原利八の碑がある(左側)


38.北海盆踊り櫓:日本随一の櫓

北海道の盆踊りでよく歌われる「北海盆唄」は三笠の幾春別地区が発祥の地として知られています。真夏の8月、お盆の時期には炭鉱も休むことになっていたため、お盆の行事として盆踊りが盛大に行われていました。その中で歌われていたのが「べっちょ節」と呼ばれる歌で、これが現在の「北海盆唄」の原型であることが知られています。

三笠中央公園には、かつての炭鉱全盛時代の高さ約8mの大きな盆踊り櫓が再現され、毎年8月14日、15日の2日間、「三笠北海盆おどり」が盛大に行われています。
 
三笠北海盆おどり

 

39.市来知(いちきしり)神社:集治監ゆかりの神社

市来知村(三笠市の前身)の開村と同時の、明治15(1882)年に小さなほこらから始まった神社です。明治19(1886)年に現在地に境内、神殿を定めました。

境内には、空知集治監(刑務所)の初代典獄(刑務所長)である渡辺惟精(これあき)の碑があり、昔、三笠に集治監があったことを知ることができます。

なお、「市来知」はアイヌ語の「イ・チャル・ウシ」が語源で、「それ(熊)の足跡がたくさんある場所」を意味します。
 
市来知神社(明治45年)


40.三笠山:三笠の名の原点

かつての空知集治監の裏側(北側)にある山が三笠山です。明治15(1882)年に空知集治監が設置された際、その山のかたちが奈良の三笠山(現在の若草山)に似ていることから、「三笠山」と呼ばれるようになりました。

現在では「観音山」とも呼ばれています。これは大正2(1913)年に三笠で大凶作が起こった際、村人たちが再び凶作が起こらないよう観音像(地蔵尊)を大正4(1915)年に祀ったことに由来します。
 

観音山(三笠山)入口
  

41.旧空知集治監典獄官舎レンガ煙突:刑務所長が起居した家

この場所には、かつて空知集治監の典獄(刑務所長)官舎がありました。現在はレンガ煙突のみが残っており、三笠市の指定文化財に指定されています。

レンガ煙突は、明治23(1890)年に官舎が全面改築された時のもので、高さが約8mあり囚人たちの手によって作られました。官舎は平屋建て、広さは約80坪もあり、当時集治監を訪れた明治の要人たちのほとんどがこの家に宿泊したとされています。

旧空知集治監典獄官舎レンガ煙突 

 

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