明治の頃から日本の近代化を支えた石炭ですが、昭和37(1962)年の原油(石油)の輸入自由化に伴って、日本は石油というエネルギーを使用するようになりました。 その影響や炭鉱での事故なども重なり、幾春別炭鉱は昭和32(1957)年、奔別炭鉱は昭和46(1971)年、幌内炭鉱は平成元(1989)年に閉山しました。 三笠の人口推移 ← 12.炭鉱まちの文化 14.現在の三笠 →