病院の沿革
病院の沿革
昭和21年 3月 | 三笠町立病院院舎完成(木造亜鉛葺一部2階建て186坪 病床20床) |
昭和21年 5月 | 町立病院として開院(木造亜鉛葺一部2階建て186坪 病床数20床)初代病院長 石氏三郎 |
昭和21年 6月 | 診療開始 |
昭和24年 4月 | 江藤文雄病院長就任(第二代) |
昭和26年 2月 | 診療棟増設(外科、眼科診療室、手術室、レントゲン室 111坪45) |
昭和26年 6月 | 江藤文雄病院長辞任 |
昭和26年 8月 | 併設隔離病舎竣工(156坪、30床) |
昭和26年 9月 | 松田文太郎病院長就任(第三代) |
昭和26年10月 | 産婦人科、耳鼻咽喉科新設 |
昭和26年10月 | 結核予防法に基づく医療機関指定 |
昭和26年12月 | 入院患者給食開始 |
昭和27年 1月 | 医局新設、眼科新設 |
昭和27年 6月 | 皮膚、泌尿器科新設 |
昭和27年 6月 | 結核病棟竣工(木造モルタル2階建226坪5、病床74)使用開始 |
昭和27年 7月 | 救急車配車 |
昭和27年 8月 | 院内放送設備完成 |
昭和27年10月 | 小児科新設 |
昭和27年12月 | 病院長住宅1戸、医師住宅3棟6戸新築 |
昭和28年 2月 | 完全給食認可 |
昭和28年 2月 | 新本館増改築工事完成 |
昭和28年 5月 | 院内売店開設 |
昭和28年 6月 | 北海道公立病院連盟に加盟 |
昭和28年 8月 | 副院長住宅1戸新築 |
昭和28年10月 | 看護婦宿舎竣工 |
昭和29年 4月 | 松田文太郎病院長辞任 |
昭和29年 5月 | 遠藤清一病院長就任(第四代) |
昭和29年10月 | 医師住宅1棟2戸竣工 |
昭和30年 7月 | 許可病床161床を169床に変更 |
昭和30年10月 | 中央材料室新設 |
昭和31年 1月 | 遠藤清一病院長辞任 |
昭和31年 2月 | 鳥海敬病院長就任(第五代) |
昭和32年 4月 | 三笠市立病院に改称 |
昭和33年11月 | 鳥海敬病院長辞任・曲木恵病院長就任(第六代) |
昭和34年 4月 | 無料健康相談実施(昭和34年利用者数362名) |
昭和35年 4月 | 許可病床169床を156床(一般50、結核76、伝染30)に変更、病室の集約、外来診療システム中央管理方式から各科管理方式に改める |
昭和35年 8月 | 曲木恵病院長辞任 |
昭和35年11月 | 島田龍弥病院長就任(第七代) |
昭和37年 2月 | 許可病床156床を210床(一般158、結核22、伝染30)に変更 |
昭和37年 4月 | 全国自治体病院協議会に加盟 |
昭和38年 4月 | 公営企業法の一部適用 |
昭和38年 5月 | 市立病院新築工事着手 |
昭和39年 6月 | 市立病院新築工事竣工(本館地下1階、地上6階建延6,299.93㎡、看護婦宿舎2階建延696㎡、工事費3億317万円) |
昭和39年 7月 | 市立三笠総合病院に名称変更 |
昭和39年 7月 | 新病院での診療開始 |
昭和39年 9月 | 基準寝具実施 |
昭和40年 4月 | エレベーター、ダムウエーター保守委託、テレビ、ラジオ、ナースコール設備保守委託、火災報知設備保守委託、院内清掃委託 |
昭和40年 7月 | 整形外科新設 |
昭和40年10月 | 救急病院等を含める省令(昭和39年厚生省令号8号)にもとづき救急病院に指定される |
昭和40年11月 | 隔離病棟竣工(433.562㎡、病床20床) |
昭和41年 6月 | 基準看護(一般病棟、結核病棟乙表)実施 |
昭和42年12月 | 精神神経科病棟開設許可 |
昭和42年12月 | 基準看護の基準改正にともない一般病棟1類看護、結核病棟2類看護に変更 |
昭和43年 5月 | 精神神経科診療棟、病棟竣工(鉄筋コンクリート2階建延1,086.74㎡、病床80床) |
昭和43年 9月 | 精神神経科診療開始 |
昭和43年 9月 | 附属棟(機能訓練室、衛生看護科講堂)完成(木造平屋建348.25㎡) |
昭和43年11月 | 精神神経科病棟基準看護三類承認 |
昭和44年 8月 | 精神神経科病棟基準看護二類に変更 |
昭和45年 4月 | 精神衛生法第5条の規定に基づく精神病院の指定(10床) |
昭和46年 4月 | 島田龍弥病院長辞任・北濱惠三病院長就任(第八代) |
昭和46年12月 | レントゲンテレビ透視撮影台新設 |
昭和47年 2月 | 人工透析開始(透析装置3台) |
昭和47年12月 | 看護婦宿舎増築工事竣工(272.6㎡) |
昭和49年 8月 | 人工腎センター完成(附属棟増築262.64㎡) |
昭和50年 1月 | 一般病棟基準看護特一類に変更 |
昭和50年 7月 | 放射性同位元素(RI)による検査装置を設備 |
昭和51年 4月 | オートクレーブ、一般撮影X線装置を更新 |
昭和51年11月 | 伝染病隔離病舎を当院の併設伝染病隔離病舎として許可される。許可病床20床 |
昭和52年 1月 | 皮膚泌尿器科から皮膚科分離 |
昭和52年 2月 | 北濱惠三病院長辞任・伊深清次病院長就任(第九代) |
昭和52年 8月 | X線断層撮影装置、診療用透視撮影装置更新 |
昭和52年11月 | 家庭透析の実施 |
昭和53年 4月 | 成人病健診(短期人間ドック登録制)の実施 |
昭和53年 4月 | 薬剤部を新設(診療部から薬剤科を分離) |
昭和53年 7月 | 精神神経科病棟基準看護一類看護の変更 |
昭和53年11月 | 超音波診断装置設備 |
昭和54年 3月 | 消防設備としてスプリンクラー、自家発電設備を新設、自動火災報知設備を更新、院内放送設備更新 |
昭和54年 6月 | 附属棟(機能訓練室、職員研修室)鉄筋コンクリート造493,552㎡新設 |
昭和54年 6月 | 一般病棟基準看護特二類に変更 |
昭和54年 7月 | 血液自動分析装置設備 |
昭和54年10月 | 道立美唄聖華高校(専攻科)実習病院として指定される |
昭和55年 7月 | 全自動血液ガス分析装置設備、透析用患者監視装置設備 |
昭和56年 3月 | 診療用透視撮影装置更新 |
昭和56年 7月 | 透析液供給装置20人用設備 |
昭和57年 8月 | 道立美唄聖華高校(本科)実習病院として指定される |
昭和59年 7月 | 併設隔離病舎廃止、解体撤去 |
昭和59年 8月 | 許可病床260床を300床(一般206、結核14、精神80)に変更 |
昭和60年 3月 | 病院増改築工事のうち人工透析部門(延面積1,251.87㎡、装置35台、病棟40床)汚水処理施設、ボイラー増設、完成 |
昭和60年 4月 | 人工腎センターを腎臓病センターに改称、透析設備及び専門病棟において診療開始、昭和61年10月 |
昭和61年10月 | 病院増改築工事落成(鉄筋コンクリート地下1階建地上6階建、延べ面積4,350.73㎡~腎臓病センター含む)11月17日より新施設使用開始、CT(コンピューター断層撮影装置)設備、オートクレーブ、ガス滅菌装置、診断用X線発生装置等更新 |
昭和61年11月 | 優良自治体立病院自治大臣表彰受賞(11月27日、東京都において伊深病院長、塚本事務局長出席受賞) |
昭和62年 1月 | 院内新病棟部分に特別室を設置し、特別室料金を定める |
平成 4年 6月 | 結核病棟の廃止 |
平成 5年 5月 | 伊深清次病院長辞任・近藤文衛病院長就任(第十代) |
平成 6年 6月 | 訪問医療の実施 |
平成 8年 1月 | RI(核医学診断装置)の導入 |
平成 8年 4月 | 看護基準の変更(一般病棟 3:1・精神病棟 4:1) |
平成 9年 4月 | 循環器外来を新設 |
平成 9年 8月 | 自治省「地方公営企業経営アドバイザー派遣事業」による経営診断 |
平成10年 4月 | 看護基準の変更(一般病棟 3:1・精神病棟 3.5:1) |
平成11年 4月 | 近藤文衛病院長辞任・千賀孝治病院長就任(第十一代) |
平成11年 4月 | 給食業務の委託 |
平成12年 8月 | マルチヘリカルCT更新・MRI導入・デジタルX線テレビ導入 |
平成13年 1月 | 北海道広域医療情報ネットワークシステムの実証実験 |
平成14年 5月 | 看護基準の変更(一般病棟 3:1・精神病棟 3:1) |
平成14年 8月 | 院内イントラネットシステムの完成 |
平成15年 4月 | 院外処方の実施、薬剤管理指導(病棟)の実施、夜間透析の廃止 |
平成15年 7月 | 一般病棟の病床数を206床から199床に変更、夜間看護基準の変更(5階病棟 30:1から20:1) |
平成16年10月 | 夜間看護基準の変更(4階病棟 30:1から20:1) |
平成17年 6月 | 夜間看護基準の変更(6階病棟 30:1から20:1) |
平成17年 7月 | 看護基準の変更(精神科病棟 看護補助 15:1から10:1) |
平成17年11月 | 透析医師の再採用(内科医師の支援体制を確立) |
平成18年 4月 | 看護基準の変更 (一般病棟 15:1 看護補助 6:1)精神科病棟 15:1 看護補助 10:1) |
平成19年 4月 | 許可病床を199床(一般134、精神65)に変更 |
平成19年 9月 | 一般病棟に亜急性病床を13床(4階2床 5階3床 6階8床)設置 |
看護基準の変更(一般病床 13:1 看護補助 10:1) | |
平成20年 6月 | 亜急性期病床の変更(4階8床 5階3床 6階2床) |
平成20年12月 | 看護基準の変更(一般病床 10:1) |
平成22年10月 | 千賀孝治病院長辞任・川﨑君王病院長就任(第十二代) |
平成23年 3月 | 許可病床を199床(一般91、療養43、精神65)に変更し、稼働病床は196床(一般88、療養43、精神65)とする。 亜急性期病床の廃止 |
平成27年10月 | 稼働病床を131床(一般88、療養43)に変更 |
平成28年 3月 | 訪問看護サービスの実施 許可病床を199床(一般91(一般67、回復期リハビリテーション24)、療養43、精神65)に変更し、稼働病床は122床(一般79(一般55、回復期リハビリテーション24)、療養43)とする。 |
平成28年 4月 | 稼働病床を112床(一般69(一般45、回復期リハビリテーション24)、療養43)に変更 |
平成28年10月 令和 2年 4月 令和 3年 1月 令和 3年 3月 令和 3年 8月 |
訪問看護ステーション開設 川﨑君王病院長辞任・服部哲夫病院長就任(第十三代) 稼働病床を88床(一般45、療養43)に変更 一般病棟に地域包括ケア病床を12床設置し、一般病床を33床に変更 一般病棟の一般病床を31床に、地域包括ケア病床を14床に変更 |
市立三笠総合病院