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館長コラム 「こんな化石も展示しています」第3回 ー三葉虫その3-

このコラムは化石の持つ魅力について、当館に展示されている化石を紹介しながら、館長が独断と個人の感想を交えながら、皆様に楽しくお伝えする連載です。

 第2回では、三葉虫の体のつくりの説明を行いました。今回はその続きです。


 体のつくり(続き)
(4)付属肢(ふぞくし)
付属肢とは足(脚)のことです。三葉虫は節足動物の足としてはもっとも原始的なタイプである「二肢型(にしがた)」と呼ばれる付属肢をもっています。これは1本の付属肢が「内肢(ないし)」と「外肢(がいし)」に枝分かれしているのが特徴です。エビやカニなど節足動物の中でも進歩したグループでは、外肢は退化して1本の付属肢からできています(ただし、エビの腹部の下にたくさんついている小さな足には二肢型が残っています)。内肢は歩くため、外肢は鳥の羽のような形をしており、泳ぐために用いられたと言われています。内肢の内側には「内突起」とよばれる鋭いとげのような突起がついています。これは、内肢で体中央部に引き寄せた獲物を切り裂いたり、エサを口に送る(バトンを渡すように、前の付属肢へとエサを順送りする)のに用いられたとされています。


三葉虫の体を輪切りにした図
体の前から後ろへ向かってみている。
三葉虫の脚は「付属肢」と呼ばれる。1本の付属肢は「内肢」と「外肢」に分岐している(二肢型)。
見つけたエサを口に送るのにも脚は役にたっている。内肢の先端でエサを捕まえ、内肢を内側に曲げて、脚の基部にある内突起(ないとっき)にエサを引っかける。引っかけられたエサは、バトンを渡すように、次は前の脚の内突起へと引っかけられ、以後、順に内突起を利用して前へ前へと送られ、最終的に口まで運ばれる。

       
 
エビの腹部に見られる二肢型の付属肢 上図の拡大
内肢と外肢に分岐した二肢型の付属肢は、節足動物の中でも原始的な形態であり、多くの仲間では退化して、分岐をしていない付属肢からなっている。しかしエビでは、両方の組み合わせをみることができる。エビの頭部の下にある歩行に用いられる付属肢は分岐していない付属肢からなるが、腹部(寿司ネタのいわゆる「しっぽ」)の下についている付属肢(腹肢)は、写真のように1本の付属肢が内肢と外肢に分岐している。

 


三葉虫の構造図
左の図は右半分が透視図。内肢と外肢1本ずつの組み合わせて1本の付属肢となる(左図では体の前半分の外肢は省略している)。外肢は鳥の羽状で、泳ぐのに使われたと考えられている。

同じ節足動物でも、現在生きているエビやカニなどの甲殻類に比べると三葉虫の脚は原始的だといえます。例えば、カニの付属肢(脚)は、ハサミになっていたり、体の場所によって形が異なっています。これは付属肢それぞれに別々の役割が与えられているということです。ところが三葉虫の付属肢は触角を除いて、ほとんど同じ形をしており、体の前から後ろまで同じ形の脚が並んでいます。つまり、足ごとに役割分担をするようにはできてはいない、ということです。

付属肢は、カルシウム分が少ないため、あまり丈夫ではなく、化石として保存されることはまれです。そのため、17世紀以降、三葉虫の研究が進んでも、その構造は長い間わかっていませんでした。そしてようやく19世紀末に、初めて付属肢の化石が発見されたことにより、
その構造が明らかになってきました

当館に展示しているトリアルトルス(下写真)は、附属肢が化石として観察することができます。これは付属肢が残っている三葉虫が採集されることで世界的に有名な化石産地の一つで採集された標本です。この産地はアメリカ・ニューヨーク州ロームという街の近くにある石切り場で、19世紀の終わり頃に発見されました。この三葉虫が見つかる地層は、その三葉虫を研究した研究者にちなんで「ビーチャーの三葉虫ベッド(層)」と呼ばれ大変有名です。
付属肢と触覚の一部が保存された三葉虫
※この標本は展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中。
学名:トリアルトルス・イートニ
時代:古生代オルドビス紀
産地:アメリカ ニューヨーク州
残念ながら、当館の標本は保存があまりよくなく、付属肢は今一つ不鮮明なのですが、アメリカ自然史博物館のサイトでは、「ビーチャーの三葉虫ベッド」から発見されたすばらしい腹側の標本が見れるので紹介します。
American Museum of Natural History (amnh.org)

先述のように附属肢は、あまり丈夫ではないため、特殊な条件で化石になると考えられています。なぜこうしたものが化石になるのか、そのメカニズムについて、いずれこの連載で取り上げたいと思っています。

また、三葉虫が海底を這った跡の化石もしばしば見つかっています。この跡からは三葉虫の付属肢の動きやエサの採り方を推定することができます。

上:三葉虫の這跡の化石(クルジアナ) (上図の拡大)
これは三葉虫が海底中の砂に含まれているエサを捕りながら歩いたときにできた這跡の化石である(這跡が型取りされた化石。標本を見ている向きは、海底の砂の中から、海底表面を歩いている三葉虫を見上げた状態である。下図③参照)。
下の図①に示したように、三葉虫は海底中のエサを探す時に、前進しながら、左右の内肢をそれぞれ体の中心に向かって動かしている。そのため見た目がV字のひっかき傷のような
独特な足跡を残す
この化石は下の図②、③に示したように、三葉虫が歩いた後にできた海底の溝が砂で埋まり、それが化石化したものである。言い換えると、三葉虫の這跡が型取りされてできた化石である。
縦の長さ:82mm
時代:古生代デボン紀
産地:ボリビア

下:三葉虫の這跡の化石のでき方  (下図の拡大)



(5)ハイポストーマ
 グラベラの裏側(腹側)には「ハイポストーマ」とよばれる楕円形をした板があります(下図B)。この板は背甲と同じように頑丈で、化石としてもしばしば残ります。この板はグラベラ内部の消化器官や脳を保護する大きな役割があります(下図C)。ハイポストーマの形状は三葉虫のグループによって特徴があるので、種類分けをするときに大きな助けとなっています。下の図Cを見てわかるように、口はハイポストーマの後ろ側にあり、体の後方を向いています。口が後方を向いているのは、前項の「付属肢」で説明したように、三葉虫は附属肢の内突起を用いて、バトンを渡すように後ろから前へ餌を運ぶので、運ばれてきた餌を取り込むのに好都合だからです。三葉虫の口は顎がないので、嚙んだりはできず、餌を吸い込むだけの機能しかありません。
下図の拡大
  
三葉虫は肉食です。種類によって、海底に住んでいるゴカイなどの小さな動物を捕食したり、それらの動物の死体を食べるもの、そして海底にたまっている小さなゴミのようなもの(有機物粒子)を食べるものがいたと考えられています。また、ハイポストーマの形は、種類や、食性によって変化するといわれています。例えば捕食・腐肉食(死体を食べること)性のものには、下の図のようにハイポストーマ後部がフォークのように尖っているものがしばしば見られます。これは獲物を抑え込んだり、フォークの長いへりを使って大きな餌の塊を切ったりするのに役立ったとされています。
下図の拡大

第4回へ続きます。

余 談  「生まれて初めて採集した三葉虫」
 ところで、このコラムの第1回で、世の化石好きは究極的には「三葉虫派」と「アンモナイト派」に分かれるのではないか、という私見を提示しました。その区分に従うと、私はアンモナイト日本一の博物館に勤務しつつ、実は「三葉虫派」です。誤解をしないでいただきたいのですが、アンモナイトが嫌いなわけではありません。どちらをよりたくさん好きかと言われれば「三葉虫」と答える、というだけの話です。ちなみに、研究者としての私の専門は「白亜紀二枚貝」と「糞」の化石であり、三葉虫については、まったくの素人です。


現在愛用中の三葉虫エコバッグ。図柄はハンコ消しゴムで作成されているそうです。とてもリアルに描かれており、一目で心ひかれてしまいました。三葉虫といっしょに買い物に行けるのがうれしい。

私の三葉虫愛は、小・中・高校時代を通して育まれたものです。人はひとたび身に染みついたものは、簡単には拭い去ることができません。とはいえ、さすがに現在では昔ほど三葉虫
Loveという訳ではなくなってきました。それでも、深夜に三葉虫の化石を目にすると、自然と手に取って「この凹凸がイイ」と、指で触感を愛でるのは特別なことではありません。
今回は、そんな私が中学3年生の時に生まれて初めて採集した三葉虫についてお話します。


深夜の三葉虫の触感は、昼間とまた違うとか....

初めて化石採集に行った小学校5年生以来、「化石の王様」三葉虫を自分自身の手で採集することは大きな夢でした。しかし、国内産の三葉虫は、アンモナイト以上にレアな化石であり、採集できる場所もかなり限られます。名古屋に自宅があった子供の私にとって、公共交通機関で行ける場所は、岐阜県大垣市にある金生山(きんしょうざん;古生代ペルム紀の様々な化石が見つかることで有名)くらいしかありませんでした。しかし金生山でも三葉虫は簡単に採集できるものではなく、中学3年に至るまでも、念願は実現できていませんでした。

そうした中、1980年、中3の冬休みにチャンスがやってきます。社会人の先輩の方が、私を九州への化石採集旅行へ連れて行ってくれる事になったのです。行程には、宮崎県五ヶ瀬町にある祇園山(ぎおんやま)が含まれていました。この山は古生代シルル紀の化石(約4億3000万年前)が見つかる場所としてたいへん有名です。国内には、シルル紀より古い地層も少し存在しますが、三葉虫が採集できる地層はシルル紀が最古で、中でも祇園山は最古級のコロノセファルス・コバヤシイという三葉虫が見つかることで知られています。
下図の拡大


張り切りって乗り込んだ現地では、南国宮崎のはずなのに、吹雪に見舞われ、化石採集にはずいぶん難儀をしました。吹雪の中で採集したクサリサンゴは今でも宝物です。残念ながらその時には三葉虫を見つけることはできませんでした。しかし、祇園山の石灰岩からは「熱処理」で三葉虫の化石を取り出せることができる、と聞いていたので、家に帰ってから、熱処理を行うために握りこぶしぐらいの大きさの岩をいくつか持って帰ることにしました。

「熱処理」とは何か?。化石は岩石中に含まれていますが、しばしば、岩石との剥離が悪いことがあります。「剥離が悪い」とは、岩を割っても、うまく化石と岩が分離してくれないことを言います(岩石を割ったときにポコッと露出しない)。結果として、岩石を割ったときに化石も一緒に割れてしまうことになります。こうした時に「熱処理」を岩石に施すと、うまく化石が取り出せることがあります。

実は三葉虫の化石を含んでいる国内の石灰岩は、化石との剥離が悪くなっていることが大半です。これは化石を含んでいる岩石が熱と圧力を受けて変質が進んでいる(「再結晶化作用」)ことが原因です。そのため、石灰岩から三葉虫の化石を取り出すテクニックとして「熱処理」は有効な技術と言えます。

「熱処理」の原理は、岩石に歪(ひずみ)を与えて、細かな亀裂を生じさせるというものです。具体的には、石灰岩をバーナーなどで熱し、水の中に入れて急冷すると、岩に膨張と急収縮による歪(ひずみ)の力が岩に働き、目に見えない無数の亀裂が生じます。この亀裂が化石と岩石がうまく分離させるように働き、処理後に岩を割ると、うまくポッコリと化石が出てくる、というものです。(
熱処理の効果についてイメージ図

ただし、熱処理はどんな岩石に対してでも使えるわけではありません。主に石灰岩に対して用いられます。岩の種類、もしくは熱処理に適した岩石でも加熱しすぎると、爆発的に割れて飛び散ることが「よくある」ので、安易に岩石を熱してはいけません。私は以前、誤って岩を「爆発」させたことがあります。幸い屋外で、破片が人や物に命中しなかったのは幸いでしたが、人に当たれば大けがをしかねない威力を感じました。

さておき、採集旅行から帰ってから間もなく、親が留守の隙に(親に言ったら絶対止められると思ったので)岩を台所のガスコンロにかけて加熱しました。そしてかなり熱したところで、火箸でつかんで、水を張ったステンレスボールに投入しました。今日的に考えると全体的に危険な行為ですが、そこは子供でしたので、わくわく感が先に立っていました。



ジュワ~ッとすさまじい音と蒸気が上がり、すぐにボールに張った水がぬるま湯になってしまいました。余熱がすごいので10分以上触れなかったと記憶しています。触れるくらいにまで冷えると、すぐに家の外に持って行って、ハンマーで割り始めました。

目指す三葉虫は大きさ1cm程度以下なので、岩も1cm以下に砕いてゆかねばなりません。砕いては、眼を近づけて丹念に岩の表面を観察して行きます。1月の寒空の中、割る事30分、何かが見えました。よーく見ると、三葉虫の尾部(尾板)!。しかし、とても小さい。それもそのはず
幅約2mmしかありません。それでも、生まれて初めて自分で三葉虫を見つけた私は、文字通り小躍りしてしましました。とはいえ、さすがに小さい....老眼となってしまった今では、こんな小さな化石も肉眼で見落とさなかった中3当時の眼力に感心します。
下図の拡大


国内では、そもそも三葉虫の化石はかけらがデフォルトですが、それにしても、この標本は小さく、標本的価値はほとんど無いでしょう。しかし、標本としての価値がなくても、思い出と重なると、自身にとってはかけがえない物となります。そんなわけで、かくも小さな化石ですが、初めて自分で採集した三葉虫として、私にはとても大きな存在となっています。40年以上が経過した今も大切に保管しています。

                               (館長 加納 学)

 

 

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