三笠市立博物館

展示室2【郷土出身者の足跡】

明治時代以来、三笠市には多くの炭鉱が栄え、たくさんの人々が住んでいました。そうした中から、多くの人材を輩出し、各界でも名を残すような人物も現れました。この展示室では、医学の分野の2名、芸術分野の1名、スポーツ分野の1名の方について、遺品やゆかりの品などを展示しています。
なお、この展示室は、廊下を挟んで2か所に分かれています。また、この展示室内では、写真撮影は自由(三脚は不可)ですが、展示資料には手を触れないでください。


黒川利雄(1897-1988)

医学博士。三笠市幾春別生まれ。1922年に東北大学医学部卒業後、ベルリン、ウィーンに留学し、帰国後助教授となり、X線による消化器疾患の診断に取り組みました。日本における消化器の検査にX線を用いる手法や、内視鏡で胃がんを確認する手法など今日の胃がん診断の基礎を作り、宮城方式という日本で最初のがん集団検診を始めました。
東北大学医学部長、同大学学長、癌研付属病院長、日本学士院長、国立がんセンター顧問などを歴任し、東京都名誉都民、三笠市名誉市民などにも推挙されました。




森山 豊(1904-1988)

医学博士。三笠市幾春別生まれ。1931年に東京大学医学部卒業後、同校副手となりました。1938年に神戸の甲南病院産婦人科部長就任、以降各地の病院、大学等で要職を歴任しました。森山博士は産婦人科医として、母子保健の研究と実践に取り組み続けました。
横浜医科大学教授、東大付属病院産婦人科医長、日本産婦人科学会会長などを歴任されました。




岸 輝子(1895-1990)

新劇女優。本名 伊藤キシ。三笠市幌内生まれ。北海高等女学校卒業後上京し、看護師勤務の傍ら新劇研究所の研究生となりました。1925年(大正14年)に「寂しき人々」の乳母役で初舞台を踏み、1944年(昭和19年)に青山杉作、千田是也、東野英治郎らの10人で俳優座を結成しました。夫である千田是也とともに新劇界の草分けとして、「母」、「肝っ玉おっ母とその子供たち」など数多くの舞台に立ち、その他映画「野良犬」やラジオ、テレビなどに個性的な脇役として活躍しました。


太刀光電右衛門(1897-1952)

大相撲力士。本名 八田政次。三笠市幌内生まれ。北海道出身者として初めて大関まで昇進した力士です。身長170cm、体重113kgの体格は、当時としても小柄な部類でしたが、負けず嫌いな性格と巧みな技によって勝ち星を上げていきました。技の中でも、左からの「おっつけ」は名人芸とまで評されたと言われています。1912年(明治45年)入門、1923年(大正12年)大関昇進。1927年(昭和2年)引退。




 

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