館長コラム 「こんな化石も展示しています」第4回 ー三葉虫その4-
このコラムは化石の持つ魅力について、当館に展示されている化石を紹介しながら、当館館長が独断と個人の感想を交えながら、皆様に楽しくお伝えする連載です。
第2~3回では、三葉虫の体のつくりの説明を行いました。今回はその続きです。
体のつくり(続き)
(6)眼
現在生きている昆虫やエビ・カニなどの節足動物と同じように、三葉虫も「複眼」の眼を持っています。複眼とは、たくさんのレンズ(個眼)が集まって1つの眼を形づくるものです。しばしば図鑑などでトンボの眼が複眼の例として取り上げられているので、それらの写真をご覧になったことのある方も多いかと思います。もちろん、たくさんのレンズがあるといっても、たくさんの映像が見えているわけではありません、個々の映像は、脳の中で一つの映像にまとめられます。
人間など眼(玉)を動かせる動物と違って、眼を動かせない動物にとって、複眼のもつメリットの一つは視野を広げられることです。眼を動かせないということは、もし眼がたった一つのレンズからできているとすれば、非常に限られた範囲しか見ることができないということです。そこで、三葉虫も含めて節足動物は、1つの眼の中にたくさんのレンズを持ち、それをいろいろな方向に向けて配置することによって、視野を広げる戦略を取っているのです。
三葉虫の眼には主として「完全複眼」と「集合複眼」の二つのタイプがあります。
完全複眼はもっとも一般的なタイプで、肉眼で見ることが難しいほどの小さな個眼(レンズ)がびっしりと集まってできています。このタイプは物体の明暗を見分ける程度にしか見えなかったようですが、動いているものを認識するには十分に役に立ったとされています。
それに対して、集合複眼は個眼が大きいのが特徴です。このタイプはかなりはっきりと物が見えたようです。個眼は二枚のレンズを組み合わせた構造を持っています。この組み合わせ構造は、見えている映像がゆがまないように補正する(レンズ内での光の屈折を補正する)機能をもっています。こうした構造は光学的に二重系レンズと言われ、17世紀にオランダで開発された技術と同様だとされています。三葉虫が5億年も前に、すでにその原理を獲得していたのは驚きですね。
上:集合複眼の例(眼の幅約7mm)
左眼を左側面から見ている。カーブした眼の表面には個眼(レンズ)が多数配置されている。この配置から、片目だけで前方から後方まで180度近い視野があったことが想像される。
標本名:ファコプス・ラナ
時代:古生代デボン紀
産地:アメリカ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
ただし、すべての三葉虫が眼を持っているわけではなく、深海に生息していた種類は眼が退化して、無くなってしまったり、逆に巨大な眼を持ったり、中にはカタツムリのように柄の長い眼を進化させたものもありました。このことからも三葉虫が周囲の環境に合わせて、体を様々に進化させていたことが分かります。
上:眼が退化した三葉虫(体長52mm)
深海の泥底に生息していたと考えられている。
標本名:コノコリフェ・スルツェリ
時代:古生代カンブリア紀
産地:チェコ
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
上:眼が突き出した三葉虫(体長65mm)
海底の泥に体を埋めて、眼だけを露出させていたと考えられている。
標本名:ネオアサフス・コワレウスキ
時代:古生代オルドビス紀
産地:ロシア
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
三葉虫の分類
分類とは簡単にいうと「種類分け」になります。三葉虫には膨大な種類があり、2万2000種を超えるとされていますが、正確な種数は不明と言われることもあります。
これは研究の歴史が300年余りになるため、数多くの研究者が色々な種類を新種として発表し続けてきたことも原因にあげられます。それらの中には誤認もあり、別種とされているものが、実は同種であったり、また逆に、同種とされているものが、別種だったりする例もあります。
これらを正してゆくには、300年分の膨大な論文を丹念にチェックしてゆく必要があります。例えば、私がある三葉虫を研究していたとして、それが「新種」だと考えたとしても、それが本当に過去にすでに研究済みのものでないか、極端に言えば、300年分の論文をチェックして行かねばならないわけです。
そうしたわけで、三葉虫の分類がほぼ完成するには、まだまだ気の遠くなるような時間が必要と思われます。
上:1836年にイギリスで出版された論文に掲載された三葉虫の図
化石の世界の中でも、三葉虫の研究は歴史が古く、文献の量も膨大である。上の図は日本がまだ江戸時代だった頃に描かれたものであるが、現在見ても種類の特定が容易にできるほど精密に描かれている。
(上図の拡大)
また、三葉虫の種類をどのように、大きくグループ分け(仲間分け)するべきか、ということは研究者によって意見が異なることがしばしばあります。現在、多くの研究者に受け入れられている分類では、8目171科に分けられるとされています。ここでは、それらをとても細かくは紹介できないので、「目(もく)」という、もっとも大雑把なグループ分けで、8目を紹介します。
現在生きている昆虫やエビ・カニなどの節足動物と同じように、三葉虫も「複眼」の眼を持っています。複眼とは、たくさんのレンズ(個眼)が集まって1つの眼を形づくるものです。しばしば図鑑などでトンボの眼が複眼の例として取り上げられているので、それらの写真をご覧になったことのある方も多いかと思います。もちろん、たくさんのレンズがあるといっても、たくさんの映像が見えているわけではありません、個々の映像は、脳の中で一つの映像にまとめられます。
人間など眼(玉)を動かせる動物と違って、眼を動かせない動物にとって、複眼のもつメリットの一つは視野を広げられることです。眼を動かせないということは、もし眼がたった一つのレンズからできているとすれば、非常に限られた範囲しか見ることができないということです。そこで、三葉虫も含めて節足動物は、1つの眼の中にたくさんのレンズを持ち、それをいろいろな方向に向けて配置することによって、視野を広げる戦略を取っているのです。
三葉虫の眼には主として「完全複眼」と「集合複眼」の二つのタイプがあります。
完全複眼はもっとも一般的なタイプで、肉眼で見ることが難しいほどの小さな個眼(レンズ)がびっしりと集まってできています。このタイプは物体の明暗を見分ける程度にしか見えなかったようですが、動いているものを認識するには十分に役に立ったとされています。
それに対して、集合複眼は個眼が大きいのが特徴です。このタイプはかなりはっきりと物が見えたようです。個眼は二枚のレンズを組み合わせた構造を持っています。この組み合わせ構造は、見えている映像がゆがまないように補正する(レンズ内での光の屈折を補正する)機能をもっています。こうした構造は光学的に二重系レンズと言われ、17世紀にオランダで開発された技術と同様だとされています。三葉虫が5億年も前に、すでにその原理を獲得していたのは驚きですね。
上:集合複眼の例(眼の幅約7mm)
左眼を左側面から見ている。カーブした眼の表面には個眼(レンズ)が多数配置されている。この配置から、片目だけで前方から後方まで180度近い視野があったことが想像される。
標本名:ファコプス・ラナ
時代:古生代デボン紀
産地:アメリカ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
ただし、すべての三葉虫が眼を持っているわけではなく、深海に生息していた種類は眼が退化して、無くなってしまったり、逆に巨大な眼を持ったり、中にはカタツムリのように柄の長い眼を進化させたものもありました。このことからも三葉虫が周囲の環境に合わせて、体を様々に進化させていたことが分かります。
上:眼が退化した三葉虫(体長52mm)
深海の泥底に生息していたと考えられている。
標本名:コノコリフェ・スルツェリ
時代:古生代カンブリア紀
産地:チェコ
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
上:眼が突き出した三葉虫(体長65mm)
海底の泥に体を埋めて、眼だけを露出させていたと考えられている。
標本名:ネオアサフス・コワレウスキ
時代:古生代オルドビス紀
産地:ロシア
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
三葉虫の分類
分類とは簡単にいうと「種類分け」になります。三葉虫には膨大な種類があり、2万2000種を超えるとされていますが、正確な種数は不明と言われることもあります。
これは研究の歴史が300年余りになるため、数多くの研究者が色々な種類を新種として発表し続けてきたことも原因にあげられます。それらの中には誤認もあり、別種とされているものが、実は同種であったり、また逆に、同種とされているものが、別種だったりする例もあります。
これらを正してゆくには、300年分の膨大な論文を丹念にチェックしてゆく必要があります。例えば、私がある三葉虫を研究していたとして、それが「新種」だと考えたとしても、それが本当に過去にすでに研究済みのものでないか、極端に言えば、300年分の論文をチェックして行かねばならないわけです。
そうしたわけで、三葉虫の分類がほぼ完成するには、まだまだ気の遠くなるような時間が必要と思われます。
上:1836年にイギリスで出版された論文に掲載された三葉虫の図
化石の世界の中でも、三葉虫の研究は歴史が古く、文献の量も膨大である。上の図は日本がまだ江戸時代だった頃に描かれたものであるが、現在見ても種類の特定が容易にできるほど精密に描かれている。
(上図の拡大)
また、三葉虫の種類をどのように、大きくグループ分け(仲間分け)するべきか、ということは研究者によって意見が異なることがしばしばあります。現在、多くの研究者に受け入れられている分類では、8目171科に分けられるとされています。ここでは、それらをとても細かくは紹介できないので、「目(もく)」という、もっとも大雑把なグループ分けで、8目を紹介します。
三葉虫の繁栄と衰退
三葉虫は古生代カンブリア紀に現れて、当時の海洋のあらゆる環境に進出して行きました。古生代が始まる直前、先カンブリア時代最後の原生代エディアカラ紀の地層からは、クラゲのような柔らかい体をもった生物の化石しか発見されておらず、三葉虫のような固い殻や足を持った生物は全く発見されていません。
つまり、エディアカラ紀の終了からカンブリア紀の前期までの非常に短い時間に、固い殻、足、そして眼まで持った三葉虫のような高等な生物が、いきなり現れたことになります。これは生物の進化史上、大変な驚きとされています。
三葉虫は古生代の全期間に生存していましたが、早くも古生代の前期であるオルドビス紀以後には衰退が始まります。これはオルドビス紀末に地球規模での寒冷化が起こり、三葉虫に大きなダメージを与えたためと言われています。このように三葉虫の繁栄と衰退は、当時の地球規模の環境変化が大きく影響していると考えられています。
その後、デボン紀終わり近くにも、大きな絶滅事件が起こり、三葉虫の衰退は決定的となります。最終的にはペルム紀末に大きな絶滅事件が起こり三葉虫は絶滅しました。なお、この絶滅事件では、海洋動物の9割以上が絶滅したとされます。これは恐竜が滅んだ白亜紀末の絶滅事件の規模を凌ぎ、地球史上最大の絶滅事件とされています。
しかし、それでも三葉虫の生存期間は全体でおよそ三億年近くになり、これほど長く生存した生物グループは他にあまり例がありません。このように三葉虫は地球の生命史の中でも非常に大きな存在であり続けているのです。
上:三葉虫の繁栄と衰退
(上図の拡大)
三葉虫グループの中で最初に世界中に広がったのは、オレヌルス類とレドリキア類です(下写真)。この二つは生息地域が地理的に分かれていて、カンブリア紀前期の三葉虫の世界で勢力を二分していました。
上:オレヌルス類(体長63mm)
レドリキア類と当時の海を二分した。
標本名:パエディウミアス・ネバデンシス
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
上:レドリキア類(体長340mm)
標本名:アカドパラソキシデス・ブリアネウス
時代:古生代カンブリア紀
産地:モロッコ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
やがて当時の大陸周辺のやや深い海にアグノスタス類(下写真)が繁栄し始めました。この仲間は深海にも生息できたので、大陸と大陸の間の深い海も越えて、世界中に広がることができました。もしアグノスタス類が浅い海にしか生息できないグループであったとしたら、大陸と大陸の間の深い海が移動の障害となり、容易に世界中に広がることができないので、深海に生息していることは、アグノスタス類にとって大きな強みとなりました
そしてカンブリア中期までには、浅海から深海まであらゆる環境に三葉虫が進出しました。
古生代前期(カンブリア紀とオルドビス紀)の深海底の特徴は、酸素が少なくて、硫化水素を発生する(いわゆる卵の腐ったような臭い)ようなヘドロ状の海底が広がっていたことです。このような環境は、ほとんどの生物が暮らせない環境であり、こうした過酷な環境にも適応できた三葉虫は、当時の深海の支配者となってゆきました。
上:アグノスタスの仲間
深海の泥底で非常に栄えた。三葉虫らしくない形態をしている。また、これらの仲間は三葉虫ではない、という説も近年では強まっている(写真幅50mm)
標本名:ペルノプシス・インターストリカ
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
三葉虫が世界中に広まったカンブリア紀に続いて、オルドビス紀にはいろいろな形をした三葉虫が現れ、繁栄のピークを迎えました。
この時期の三葉虫は生息している場所によって形に特徴があります。例えば、浅い海、特にサンゴ礁なような場所に住むものは、体のふくらみが強くて表面が滑らかなものが多く、殻も厚くて丈夫でした(下左写真)。それに対して、深い海に住むものは、体のふくらみが弱くて平べったく、外形は楕円形、そして殻も薄いことが多くなっています。近年の研究では、平べったいタイプの方は、体の構造的に呼吸能力を高くすることができ、酸素の少ない泥底の海底でも活動するのに適していたとされています。
上:住む場所による形の違い
左の種類のように浅い海のものはふくらみが強く、右のように深い海にすむものは平たい傾向がある。
左標本 (体長75mm)
標本名:アサフス・レピドゥルス
時代:古生代オルドビス紀
産地:ロシア
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
右標本 (体長41mm)
標本名:エルラシア・キンギイ
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
所蔵:(財)進化生物学研究所 (平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載)
オルドビス紀の終わりには、地球全体の寒冷化による大きな絶滅事件が起こり、三葉虫は半分の属が絶滅しました。この時にカンブリア紀初期から栄えていた古いグループはすべて絶滅し、これ以後は深海生や遊泳生の三葉虫が繫栄することは2度とありませんでした。
この寒冷化の直後には、一時的に、寒い地方に住む三葉虫が急速に世界中に広がりました。シルル紀の半ばまでには、種類の数そのものは復活しましたが、グループの数は少なくなり、多様性は明らかに減少していました。
さらに次のデボン紀は、「魚類の時代」とも言われており、急速に魚類が発展した結果、これらが捕食者となって三葉虫を圧迫したと考えられています。イボや棘などで重武装した三葉虫であるファコプス類がこの時期に栄えたのは、増加する捕食者への対抗手段であったとも考えられています(下写真)。
上:棘が発達したファコプス類(体長100mm)
標本名:ドロトプス・アルマタス
時代:古生代デボン紀
産地:モロッコ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
そして、デボン紀の終わり頃には再び大きな絶滅事件が起こります。この絶滅事件は、規模の大きさで、地球史上三番目の大絶滅事件でした。この時には海洋全体の無酸素化と寒冷化が起き、海洋生物種の82%が絶滅したと言われています。こうして最盛期には8目あった三葉虫グループの中で、生き残ったのはプロエタス目ただ一つとなってしまいました。
上:プロエタスの仲間(体長65mm)
三葉虫としては典型的な、ある意味平凡な形態をしている。
標本名:フィリップシアの一種
時代:古生代石炭紀
産地:ベルギー
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
そのため続く石炭紀、ペルム紀の三葉虫はプロエタス目のみという非常に多様性の乏しい状況となりました。そしてペルム紀末には、生物種の96%が絶滅したという生物史上最悪の絶滅事件が起こり、三葉虫は滅亡し、古生代も終了しました。この絶滅事件の原因について、いまだにはっきりとしたことはわかっていません。
(第5回に続く)
次回は、「化石としての三葉虫」です。三葉虫の持つ生物的な特性が、三葉虫の化石のでき方に大きな影響を与えています。それについて解説します。
上:三葉虫の繁栄と衰退
(上図の拡大)
三葉虫グループの中で最初に世界中に広がったのは、オレヌルス類とレドリキア類です(下写真)。この二つは生息地域が地理的に分かれていて、カンブリア紀前期の三葉虫の世界で勢力を二分していました。
上:オレヌルス類(体長63mm)
レドリキア類と当時の海を二分した。
標本名:パエディウミアス・ネバデンシス
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
上:レドリキア類(体長340mm)
標本名:アカドパラソキシデス・ブリアネウス
時代:古生代カンブリア紀
産地:モロッコ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
やがて当時の大陸周辺のやや深い海にアグノスタス類(下写真)が繁栄し始めました。この仲間は深海にも生息できたので、大陸と大陸の間の深い海も越えて、世界中に広がることができました。もしアグノスタス類が浅い海にしか生息できないグループであったとしたら、大陸と大陸の間の深い海が移動の障害となり、容易に世界中に広がることができないので、深海に生息していることは、アグノスタス類にとって大きな強みとなりました
そしてカンブリア中期までには、浅海から深海まであらゆる環境に三葉虫が進出しました。
古生代前期(カンブリア紀とオルドビス紀)の深海底の特徴は、酸素が少なくて、硫化水素を発生する(いわゆる卵の腐ったような臭い)ようなヘドロ状の海底が広がっていたことです。このような環境は、ほとんどの生物が暮らせない環境であり、こうした過酷な環境にも適応できた三葉虫は、当時の深海の支配者となってゆきました。
上:アグノスタスの仲間
深海の泥底で非常に栄えた。三葉虫らしくない形態をしている。また、これらの仲間は三葉虫ではない、という説も近年では強まっている(写真幅50mm)
標本名:ペルノプシス・インターストリカ
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
三葉虫が世界中に広まったカンブリア紀に続いて、オルドビス紀にはいろいろな形をした三葉虫が現れ、繁栄のピークを迎えました。
この時期の三葉虫は生息している場所によって形に特徴があります。例えば、浅い海、特にサンゴ礁なような場所に住むものは、体のふくらみが強くて表面が滑らかなものが多く、殻も厚くて丈夫でした(下左写真)。それに対して、深い海に住むものは、体のふくらみが弱くて平べったく、外形は楕円形、そして殻も薄いことが多くなっています。近年の研究では、平べったいタイプの方は、体の構造的に呼吸能力を高くすることができ、酸素の少ない泥底の海底でも活動するのに適していたとされています。
上:住む場所による形の違い
左の種類のように浅い海のものはふくらみが強く、右のように深い海にすむものは平たい傾向がある。
左標本 (体長75mm)
標本名:アサフス・レピドゥルス
時代:古生代オルドビス紀
産地:ロシア
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
右標本 (体長41mm)
標本名:エルラシア・キンギイ
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
所蔵:(財)進化生物学研究所 (平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載)
オルドビス紀の終わりには、地球全体の寒冷化による大きな絶滅事件が起こり、三葉虫は半分の属が絶滅しました。この時にカンブリア紀初期から栄えていた古いグループはすべて絶滅し、これ以後は深海生や遊泳生の三葉虫が繫栄することは2度とありませんでした。
この寒冷化の直後には、一時的に、寒い地方に住む三葉虫が急速に世界中に広がりました。シルル紀の半ばまでには、種類の数そのものは復活しましたが、グループの数は少なくなり、多様性は明らかに減少していました。
さらに次のデボン紀は、「魚類の時代」とも言われており、急速に魚類が発展した結果、これらが捕食者となって三葉虫を圧迫したと考えられています。イボや棘などで重武装した三葉虫であるファコプス類がこの時期に栄えたのは、増加する捕食者への対抗手段であったとも考えられています(下写真)。
上:棘が発達したファコプス類(体長100mm)
標本名:ドロトプス・アルマタス
時代:古生代デボン紀
産地:モロッコ
※展示室1の「生命の歴史と化石」に展示中
そして、デボン紀の終わり頃には再び大きな絶滅事件が起こります。この絶滅事件は、規模の大きさで、地球史上三番目の大絶滅事件でした。この時には海洋全体の無酸素化と寒冷化が起き、海洋生物種の82%が絶滅したと言われています。こうして最盛期には8目あった三葉虫グループの中で、生き残ったのはプロエタス目ただ一つとなってしまいました。
上:プロエタスの仲間(体長65mm)
三葉虫としては典型的な、ある意味平凡な形態をしている。
標本名:フィリップシアの一種
時代:古生代石炭紀
産地:ベルギー
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
そのため続く石炭紀、ペルム紀の三葉虫はプロエタス目のみという非常に多様性の乏しい状況となりました。そしてペルム紀末には、生物種の96%が絶滅したという生物史上最悪の絶滅事件が起こり、三葉虫は滅亡し、古生代も終了しました。この絶滅事件の原因について、いまだにはっきりとしたことはわかっていません。
(第5回に続く)
次回は、「化石としての三葉虫」です。三葉虫の持つ生物的な特性が、三葉虫の化石のでき方に大きな影響を与えています。それについて解説します。
余 談
皆様をお出迎えする三笠市立博物館の玄関窓口にも実は三葉虫が飾ってあります。と言っても本物の化石ではなくて、木製のパズルです。このパズルはかつて博物館に勤務していたKさんという方の手作りで、立体パズルとなっています。私の知る限りでは三葉虫の立体パズルは珍しいのではないかと思います。これは現在では、玄関の飾り物となっていますが、何年か前までは、「キッズコーナー」で子供たちが遊ぶための実用品でした。
皆様をお出迎えする三笠市立博物館の玄関窓口にも実は三葉虫が飾ってあります。と言っても本物の化石ではなくて、木製のパズルです。このパズルはかつて博物館に勤務していたKさんという方の手作りで、立体パズルとなっています。私の知る限りでは三葉虫の立体パズルは珍しいのではないかと思います。これは現在では、玄関の飾り物となっていますが、何年か前までは、「キッズコーナー」で子供たちが遊ぶための実用品でした。
このパズルは、かなり人気があったのですが、ある意味良く出来すぎていて、部品の分割が絶妙だったため、小さな子供が組み上げるには、かなり難易度が高くなっていました。このパズルが現役の頃、キッズコーナーを覗いてみると、正しく組み上げ切れずに、部品がバラバラ状態で残されている光景をよく目にしたものです。
また、このパズルには欠点がありました。それは素材が比較的軟らかい木材でできているため、部品が正しい位置にはめ込まれていなくても、多少強引に押せば、部品が変形して、押し込めてしまうというものでした。ご想像がつくと思いますが、子供たちは容赦なく遊びます。そんな訳で部品のエッジが欠け始め、このままだと、壊れてしまいそうだったため、現役引退となりました。
ただ、そのまましまい込んでしまうには、惜しいので、玄関に飾ることとしました。また、私たちがこのパズルを大切にしているもう一つの理由があります。それはこのパズルを製作したKさんが病気で他界してしまった事です。まだ亡くなるには早い年齢でしたので大変残念なことでした。
実は「キッズコーナー」に置かれている木製パズルの大半も彼の手作りです(令和5年6月現在、「キッズコーナー」は休止中)。アンモナイトやティラノサウルスなどをモチーフとした木製パズルは子供たちにたいへん好評です。Kさんは亡くなられてしまいましたが、その作品は今でも多くの子供たちを楽しませています。キッズコーナーが再開された際には、ぜひこれらのパズルをお楽しみください。ただ、これらも部品が傷みやすいので、やさしく扱っていただけると、たいへんうれしく思います。
(館長 加納 学)
市立博物館
電話:01267-6-7545
FAX:01267-6-8455
電話:01267-6-7545
FAX:01267-6-8455