
アンモナイト・イヤー企画 「今月のアンモナイト」2025年6月号
当館は2024年に、開館45周年を迎えました。そこで、46年目に当たるこの2025年を「アンモナイト・イヤー」と位置付け、アンモナイトいっぱいの年にしたいと考えています。その取り組みのひとつとして、毎月、収蔵庫からアンモナイトを選び出し、展示するロビー展示シリーズ「今月のアンモナイト」を開催しています。2025年6月、第6回目の「今月のアンモナイト」は、「横山又次郎 生誕165周年」です。
横山又次郎(1860年6月14日〜1942年1月20日)は、日本人として初めて古生物学者となった、明治時代の研究者です。1860年6月14日(旧暦の万延元年4月25日)に、長崎県で生まれました。つまり今年6月で、生誕165周年となります。
そしてこの横山又次郎は、北海道のアンモナイトとも、大きく関係しています。横山は、東京帝国大学で、地質学を学びます。この時、東京帝国大学には、いわゆる「お雇い外国人」として、地質学者のエドムント・ナウマンが教授として招かれていました。横山は、このナウマンから指導を受けました。
横山は、1882年に東京帝国大学を卒業すると、一旦は農商務省に就職しますが、古生物学者となるべく退職して、1886年に、ドイツに留学します。この時、ナウマンが以前、研究をしていた北海道産のアンモナイト化石を、引き継いだのです。
ドイツでは、ミュンヘン博物館で当時古生物学の権威で、ナウマン自身も師事していた古生物学者のカール・ツィッテルなどの元で学びながら、この北海道産アンモナイト化石について研究します。そして,日本に帰国後の1890年に,その成果を論文として発表しました。この論文こそ,北海道産アンモナイト化石が,初めて学術的に研究された論文なのです。
また、横山又次郎は、後には新生代の二枚貝や巻貝化石を研究するようになりました。しかし、彼自身の研究者としてのキャリアは,北海道産アンモナイト化石によって始まったと言えるのです。
そしてこの横山又次郎は、北海道のアンモナイトとも、大きく関係しています。横山は、東京帝国大学で、地質学を学びます。この時、東京帝国大学には、いわゆる「お雇い外国人」として、地質学者のエドムント・ナウマンが教授として招かれていました。横山は、このナウマンから指導を受けました。
横山は、1882年に東京帝国大学を卒業すると、一旦は農商務省に就職しますが、古生物学者となるべく退職して、1886年に、ドイツに留学します。この時、ナウマンが以前、研究をしていた北海道産のアンモナイト化石を、引き継いだのです。
ドイツでは、ミュンヘン博物館で当時古生物学の権威で、ナウマン自身も師事していた古生物学者のカール・ツィッテルなどの元で学びながら、この北海道産アンモナイト化石について研究します。そして,日本に帰国後の1890年に,その成果を論文として発表しました。この論文こそ,北海道産アンモナイト化石が,初めて学術的に研究された論文なのです。
また、横山又次郎は、後には新生代の二枚貝や巻貝化石を研究するようになりました。しかし、彼自身の研究者としてのキャリアは,北海道産アンモナイト化石によって始まったと言えるのです。
明治時代に北海道が開拓されると、地下資源や鉄道敷設などのために、地質調査を行う必要が出てきました。そこで明治政府は、アメリカから地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンを招きました。ライマンは北海道内をくまなく調査し、その過程で、浦河地域でアンモナイト化石をいくつか発見しました。この化石は、ナウマンに託され、ナウマンがドイツに一度帰国した際、北海道産のアンモナイト化石も持ち帰り、簡単な研究成果を論文として発表しました。
東京帝国大学でナウマンに指導された横山は、その後、ドイツに留学した時に、そのアンモナイト化石の研究も引き継ぎます。そしてその成果を、1890年に発表した論文にまとめました。この論文こそ、北海道産アンモナイト化石の「世界デビュー」です。
この論文では、横山は、19種類のアンモナイトを確認し、そのうち7種類は,それまでに発見されていない新種であるとして、学名を与えています.
| 横山が1890年の論文で確認したアンモナイト (横山が命名したアンモナイトは赤字) |
現在の分類 |
| フィロセラス・ヴェレダエ | ネオフィロセラス・ラモサム |
| フィロセラス・エゾエンゼ | フィロパキセラス・エゾエンゼ |
| フィロセラスの一種 | (図がないため不明) |
| リトセラス・サクヤ | ゴードリセラス・テヌイリラタム |
| リトセラスの一種 | ゴードリセラス・デンセプリカタムに比較される種 |
| リトセラスの一種 | テトラゴニテス・グラブルスに比較される種 |
| プチコセラス・シュード=ゴウルチナム | ポリプチコセラス・シュードゴウルチナム |
| アニソセラス・サブクアドラタム | ポリプチコセラス・ シュードゴウルチナムと同種 |
| アニソセラス・ハラダナム | ポリプチコセラス・ハラダナム |
| アニソセラス・サブアンデュラタム | ポリプチコセラス・シュードゴウルチナムと同種 |
| アニソセラス・リューガタムに類似する種 | リューガセラ・リューガセンシス |
| アニソセラスの一種 | ポリプチコセラスの一種 |
| デスモセラス・ガルデニ | ハウエリセラス・アングスタム |
| デスモセラス・スガタ | ダメシテス・ダメシ |
| デスモセラスの一種 | テトラゴニテスの一種 |
| パキディスカス・アリアローレンシス | メヌイテス・アリアローレンシス |
| パキディスカス・ナウマニ | メヌイテス・ナウマニ |
| パキディスカス・スツネリ | メヌイテス・スツネリ |
この横山の研究から、135年が経過した現在、横山が命名した学名はすべて、その後の研究によって変更が加えられています。しかし、横山が命名した学名という事実は変わりません。学名にはしばしば、命名者と命名年を追記します。そのため、横山が命名したアンモナイトには、「(Yokoyama, 1890)」と書かれることがあります。この名前と年号こそ、日本の古生物学が第一歩を踏み出した証なのです。
横山又次郎の「偉業」は、単に化石の研究だけに留まりません。
古生物学の専門用語は、もともとはヨーロッパの言葉です。そのため、その言葉をそのまま発音しても、日本人にとっては聞き取りづらいし、意味も通じません。
そこで横山は、古生物学の用語の日本語訳をたくさん考案しました。例えば「恐竜」「三葉虫」「始祖鳥」といった、誰でも一度は聞いたことのある古生物の名前も、横山が考案したものなのです。
横山の考案した訳語には
●簡単な漢字2〜3文字
●もともとの言葉を直接、日本語訳したものではない
という特徴があります。
横山は漢語に造詣が深く、日本語で文章を書くときでさえも、漢字の意味や語源に基づいて、漢字を使い分けていたそうです。それを示すエピソードとして、鉱物学者の木下亀城(九州大学名誉教授)は、昭和初期の地質学会での出来事として、横山又次郎が「すなわち」に用いる漢字として、意味に応じて「乃」「迺」「廼」「便」「即」「 則」「載」「軌」「曾」を使い分けていた、と回想しています。
横山が考案した訳語がとてもわかりやすいのも、その漢語に関する知識の賜物でしょう。そのため、横山の考案した言葉は、日本どころか、漢字の生まれた国・中国でも使われるようになりました。
古生物学の専門用語は、もともとはヨーロッパの言葉です。そのため、その言葉をそのまま発音しても、日本人にとっては聞き取りづらいし、意味も通じません。
そこで横山は、古生物学の用語の日本語訳をたくさん考案しました。例えば「恐竜」「三葉虫」「始祖鳥」といった、誰でも一度は聞いたことのある古生物の名前も、横山が考案したものなのです。
横山の考案した訳語には
●簡単な漢字2〜3文字
●もともとの言葉を直接、日本語訳したものではない
という特徴があります。
横山は漢語に造詣が深く、日本語で文章を書くときでさえも、漢字の意味や語源に基づいて、漢字を使い分けていたそうです。それを示すエピソードとして、鉱物学者の木下亀城(九州大学名誉教授)は、昭和初期の地質学会での出来事として、横山又次郎が「すなわち」に用いる漢字として、意味に応じて「乃」「迺」「廼」「便」「即」「 則」「載」「軌」「曾」を使い分けていた、と回想しています。
横山が考案した訳語がとてもわかりやすいのも、その漢語に関する知識の賜物でしょう。そのため、横山の考案した言葉は、日本どころか、漢字の生まれた国・中国でも使われるようになりました。
日本の古生物学の立役者である横山又次郎と、彼が命名したアンモナイトは、6月いっぱい三笠市立博物館ロビーにて展示しています。期間限定の展示ですので、この機会をお見逃しなく!
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