
アンモナイト・イヤー企画 「今月のアンモナイト」2025年11月号
当館は2024年に、開館45周年を迎えました。そこで、46年目に当たるこの2025年を「アンモナイト・イヤー」と位置付け、アンモナイトいっぱいの年にしたいと考えています。その取り組みのひとつとして、毎月、収蔵庫からアンモナイトを選び出し、展示するロビー展示シリーズ「今月のアンモナイト」を開催しています。2025年11月、第11回目の「今月のアンモナイト」は、「松本達郎 〜日本アンモナイト学の巨人〜」です。
11月は、日本のアンモナイト研究を世界レベルにまで押し上げた偉人、松本達郎(1913年11月2目〜2009年2月7日)の誕生月です。松本は、大学院生の頃から亡くなる直前までの約70年にわたって、北海道のアンモナイトの研究に取り組みました。
松本は、特にアンモナイトの分類(種類分け)を精力的に行いました。そして、それまでに知られていない種類(新種)だと判明したものには、命名を行いました。日本から発見される白亜紀のアンモナイトは、約800種程度とされていますが、そのうち約200種※は、松本が命名したアンモナイトです。
松本以前には、日本に「アンモナイトの専門家」と言える人物はほとんどいませんでした。しかし、松本が海外のアンモナイト研究者と共同研究を行ったり、英語で北海道のアンモナイトに関する論文を継続的に執筆・発表したことで、世界中に、北海道のアンモナイト化石の学術的な価値が知られるようになりました。松本こそ日本のアンモナイト研究の立役者なのです。
※ 現在無効名とされるものを含む
※ 現在無効名とされるものを含む
松本達郎は、1913年11月2日に、心理学者の松本亦太朗(まつもと またたろう、1865〜1943)の三男として生まれました。旧制静岡高校で地質学者の今野円蔵の指導を受け、さらに地質学を学ぶために、1933年に東京帝国大学に進学し、本州や九州の地層の研究を行いました。
松本は、大学院進学後には、古生代のオウムガイ類や三葉虫類を研究していた、小林貞一(こばやし ていいち)の指導を受けるはずでした。しかし小林は、その時期にアメリカ留学が決まってしまい、代わりに松本を指導したのは、東北帝国大学教授の矢部長克(やべ ひさかつ)でした。矢部は、1904年に異常巻きアンモナイトのニッポニテスを命名するなど、北海道のアンモナイトの研究に長く携わっており、松本も、その矢部の元で、北海道のイノセラムスやアンモナイトの研究に取り組むようになりました。以来、松本は、九州大学を定年退官した後も、2009年に95歳で亡くなる直前まで、研究を続けました。
また松本は大学教員として、多くの学生を育てました。そして、松本の教え子たちは、アンモナイトに限らず、古生物学の様々な分野で活躍することになります。
北海道から遠く離れた九州大学に勤務していた松本達郎ですが、ほぼ毎年、夏になると北海道を訪れ、地質調査や化石採集を行っていました。定年退官後も、亡くなる直前まで北海道で調査をしていました。三笠も、定宿とする民宿があるほど頻繁に訪れました。広大な北海道を1人で調査するのは不可能ですから、松本の北海道調査には、大学教員となった教え子や、他大学・博物館の古生物学者が同行することもありました。しかし実は、松本の調査に大きな役割を果たしたのが、北海道在住のアマチュア化石コレクターたちです。
当時も現在も、北海道には、趣味で化石採集を行うコレクターたちがたくさんいます。こうしたコレクターたちは、アンモナイトについて豊富な知識を持ち、またアンモナイトの産地についても詳しい情報を持っています。そのため松本も、コレクターたちを頼りに、北海道での調査を行ったのです。
また逆に、松本が化石コレクターたちに、当時最新のアンモナイト研究の成果を伝えることもありました。三笠市内では定期的に化石研修会が開かれ、松本が講師として呼ばれていたようです。ともに協力し合いながら、自らの研鑽に努め、北海道のアンモナイト研究を前進させていったのです。
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