三笠市立博物館

館長コラム 「こんな化石も展示しています」第5回 ー三葉虫その5-

 このコラムは化石の持つ魅力について、当館に展示されている化石を紹介しながら、当館館長が独断と個人の感想を交えて、皆様に楽しくお伝えする連載です。

 第2~4回では、三葉虫の体のつくりと、三葉虫の繁栄と衰退について述べてきました。


 化石としての三葉虫

死んだ三葉虫がどのような過程を経て化石になるのか、ということについては、生き物としての三葉虫の特性が大いに関わっています。

まず、三葉虫はエビ・カニなどと同じ節足動物であることから、脱皮しながら成長する生き物です。そのため脱皮して脱ぎ捨てた殻も化石になる可能性があります。そうしたことから1匹の三葉虫は一生の間に何個もの化石になる可能性があります。実際、そうした脱皮殻の化石がたくさん見つかっています。

もう一つの大きな特性は、死んだ後に体がバラバラになりやすいという事です。三葉虫は体の部品どうしをつないでいる繊維のような組織が腐りやすく、組織が腐ると簡単に部品が分離してしまいます。これは三葉虫だけではなく、節足動物の死骸に共通する特性ともなっています。身近な例として、バラバラになったクワガタムシの死体などをご覧になったことのある方も多いのではないでしょうか。

こうした特性などから、実は完全体の三葉虫の化石はたいへん数が少なく、発見される化石の大半が破片です。こうした破片は、脱皮殻やバラバラになった部品からなり、これらが密集した状態で見つかることもよくあります。体の部品の中では、尾部は部品の一体化が進んでいるため
(「-三葉虫-その2」参照)壊れにくく、また目立つことから、三葉虫の体の中では化石として見つけやすい部分となっています。


(上図の拡大)
破片化した三葉虫
上図中の写真には、少なくとも2種の三葉虫(図左下)の化石が含まれており、いずれも多数の破片となっている。これらの破片について、それがもともと体のどこに位置するのか、全体復元図を使って示した。わかりやすいように、個々の破片と復元図の方向を一致させて示している。破片の中では、壊れにくい尾部が目立つ傾向がある。写真の標本は中国東北部から産出したもので、現地では「コウモリ石」と呼ばれる。その名称の由来は、岩の表面に散在している尾部が、まるでたくさんのコウモリが飛んでいるように見えるためである。
標本名:ドレパヌラ・プレスメリニイ、ブラックウェルデリア・シネンシス
時代:古生代カンブリア紀
産地:中国
※第1展示室の「生命と進化」コーナーで展示中

三葉虫の脱皮の仕方は、エビ・カニと大きく異なる点があります。それはエビ・カニが脱皮するときには脱皮する古い殻からカルシウム分を回収(一旦体に吸収して、今度は新しい殻の石灰化に再利用)するのに対して、三葉虫はカルシウム分を回収せずに、そのまま古い殻とともに捨てていたことです。これは生き物としては効率の悪いやり方ですが、その代り、脱ぎ捨てられた殻はカルシウム分が多いために丈夫で、化石として残りやすくなった、という面もあります。



三葉虫の成長と脱皮

三葉虫の胸節は成長とともに数が増えてゆくが、尾部の側から増え行く(上図の上段)。胸節の数は種類ごとにおおよそ決まっているので、一定数に達するまでは、脱皮ごとに胸節が増加する。従って
、胸節の数が多いものほど、成熟するまでに多くの脱皮回数を必要とする。なお、三葉虫の中でも古いタイプのものほど、胸節が多い傾向がある。(上図の下段)。脱皮後しばらくは無防備となるので、三葉虫が生き残るためには脱皮回数が少ない方が望ましい。

成熟後には胸節の数は増えないが、さらに脱皮を繰り返しながら体のサイズを大きくしてゆく。本文に書いたように、三葉虫は現在のエビ・カニとは異なり、脱皮するときに、古い殻からカルシウムを回収せずに捨てていたため、代謝効率は良くない。


脱皮する時は、脱皮の順番として、最初にフリーチーク(遊離頬;ゆうりきょう)の部分を脱皮し、その後に体全体を脱皮させるパターンが多いようです。一見ほぼ完全で、脱皮殻ではなく遺骸そのものだと思われる標本でも、実際には脱皮殻であることがあります。それらはフリーチークがあるかないかを見ると判別しやすいです。ただし、脱皮の仕方は種類にもよるので、絶対ではありません。また、脱皮後の殻も、下のエルラシアの例のように、ほぼ全体の形が残っている場合もあれば、かなりバラバラになってしまうものまで、さまざまなパターンがあります。


完全体と脱皮殻
同種である左右の標本を比較すると、右標本はフリーチークが外れているため脱皮殻であることがわかる。
標本名:エルラシア・キンギイ (体長 左41mm、右34mm)
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
所蔵:(左)(財)進化生物学研究所 平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載
   (右) 個人蔵

これまで述べてきたような事情から、三葉虫が完全体のまま化石となるためには、一定の条件が必要となります。もし、死んだ後に、海底に長い時間、死体が転がったままになっていると、体の部品どうしを繋いでいる組織が腐ったり、死体を食べる生き物に食べられて、体の破壊が進行してしまいます。破壊の進行を食い止めるのに、一番手っ取り早いのは、死後なるべく早く砂や泥などに埋められてしまうことです。死体が地層中に封入されることによって、死体を手つかずの状態に保てるからです

砂や泥によって死体が急速に埋められてしまう具体的な状況としては、海底土砂崩れや、嵐の時に起こる強い水流によって海底から巻き上げられた砂や泥が降り積もるような例が考えられます。

さらに言うと、「死後」埋められるよりも、「生き埋め」の方が、さらに状態が化石が残る可能性が高くなります。世界中で見つかっている保存状態のよい三葉虫の化石には、生き埋めだと考えられるようなものが少なくありません。

生き埋めの可能性が高い化石の例を二つ示します。

まず1番目の例です。下の写真をご覧ください。この標本は少なくとも二つの理由から生き埋めまたは、死後すぐに地層に埋められた可能性が考えられます。
(1)ほぼすべての三葉虫が完全体であること
もし、これが生き埋めではなくて、死後にかなり時間が経過した死体ならば、体が不完全な個体がもっと含まれていることが予想されます。
(2)腹側が見えている個体を観察すると、三葉虫の死後にすぐ分離しやすいハイポストーマ(赤丸で囲った部分)が定位置で残されていること
もし、死後にかなり時間が経過しているならば、体の部品をつなぐ組織が腐って、ハイポストーマは定位置から脱落してしまっているはずです。









上の写真の拡大
標本名:ホモテルス・プロビデンス 
(写真の幅190mm)
時代:古生代オルドビス紀
産地:アメリカ
所蔵:(財)進化生物学研究所
平成17年度特別展 図録「三葉虫!」から転載


生き埋めの原因はおそらく、嵐などにより、激しく巻き上げられた海底の泥が降り積もって、埋められたと考えられます。また、これらは生きていた場所で瞬間的に埋められたのではなく、少なくとも短い時間・距離は水流で流されて密集したのだと考えられます。同じような形・大きさをした物体は、水流に流されると、同じように流され、同じ場所に集まる性質があるからです。

二番目の例です。
これはアメリカ・ニューヨーク州の有名な化石産地から採集される三葉虫です。この産地に分布するデボン紀層のある層準(そうじゅん)からは、たくさんの、丸まって防御姿勢を取った三葉虫が発見されます。研究の結果、これらの三葉虫も嵐などによって巻き上げられた泥による急激な埋没から身を守るために丸まり、そのまま死亡したものと考えられています。


標本名:ファコプス・ラナ 
(長径26mm;左右とも同じ標本)
時代:古生代デボン紀
産地:アメリカ ニューヨーク州
※第1展示室の「生命と進化」コーナーで展示中

三葉虫が完全体のまま化石になりやすいパターンには、泥や砂による急速な埋没の他に、もう一つ例があります。それは三葉虫の生息環境が酸素の少ない深海底である場合です。

酸素が少ない海底では死体を荒らす生物の活動が難しくなります。
また水深が深い海底は嵐の影響を受けず、水流の影響がない静かな海底となります(海面上で激しい嵐があっても、水深100mを超えると、ほとんど影響がない)。こうした二つの理由から、三葉虫の死体は食い荒らされることがなく、また水流で死体が動かされることもないため、死体がすぐに砂や泥に埋まらなくても、バラバラにならずに残ることができます。

古生代カンブリア紀やオルドビス紀にはこうした深海底が世界中に広がり、そこではたくさんの三葉虫が暮らしていたため、こうした産状を示す深海性三葉虫の化石がしばしば見つかります。


深海性の三葉虫化石の産状
たくさんの破片とともに、完全体が散在する。これらは酸素の少なく、水流のない静かな深海底でできた。この化石はアメリカ・ユタ州にある世界的に有名な化石産地のもの。この岩に含まれている三葉虫「エルラシア」はユタ州の「州の化石」にもなっている。余談であるが、日本地質学会が選定した「北海道の化石」は「アンモナイト」である。

標本名:エルラシア・キンギイ (岩の幅170mm)
時代:古生代カンブリア紀
産地:アメリカ
※第1展示室の「生命と進化」コーナーで展示中

(次回に続く)
 
 余 談:「初めて手にした三葉虫」
第3回では、中学校3年の時に初めて自分で採集した三葉虫について話しました。今回は人生で、初めて手で触れた三葉虫の化石についてです。

小学校5年生の時から化石を集め始めた私でしたが、その頃から一番興味を持っていたのは三葉虫でした。第3回に書いたように、三葉虫は国内で簡単には採集できないので、小5の冬に通販で外国産の三葉虫の化石を買うことを思い立ちました。しかし、1970年代後半の当時、私が手にした通販のカタログは、写真のコピーをさらに印刷したようなもので、何が写っているかもよくわからない代物でした。

おまけに、
どの三葉虫も高価で、子供の私には手が届かないものが大半でした。そんな中で、一つだけ千円程度のものを見つけました。不鮮明なカタログの写真では、それがどんなものだか、なんだかよくわかりませんでしたが、価格につられて「これだ!」ということで、さっそく注文しました。しかし、届いてみると、当時の私にとっては全く「???」な三葉虫でした。「これ三葉虫なの?」と思ったほどです。下の写真がそれです。

トリヌクレウス科の三葉虫(恐らく脱皮殻)
産地:イギリス ウェールズ地方
時代:古生代オルドビス紀
赤色部が保存されている部位。標本は頭部が裏返しになっている。岩には2個含まれている。

今ならば、
トリヌクレウス科を特徴づける一見異様なフリンジ(縁)が頭部の前側に見られることから、典型的なトリヌクレウス科の頭部だとすぐにわかりますが、当時ほとんど知識のない私にとっては、なんともピンと来ない三葉虫でした。結局、「この三葉虫、なんだか好きじゃない」という印象を受けた私は、これを心の中での「好きじゃないマイコレクション」リストに入れてしまいました。

子供の私には嫌われてしまいましたが、このトリヌクレウス科の三葉虫は、近年では興味深い古生態から注目されています。このグループの三葉虫の外形的な特徴の一つは、頭部の前部に貫通孔がたくさんあるフリンジ(縁)を持つことです。一見極めて異様で、なぜこの様な形態をしているのか、長年謎とされてきたのですが、実は、この形態は、この三葉虫のエサの取り方と関係がある、という推定がなされるようになりました。(下図)
トリヌクレウス科三葉虫の古生態
このグループの多くは眼を持たず、オルドビス紀に全世界的に広がった酸素の乏しい泥底の深海で繁栄していた。
上左:トリヌクレウス科三葉虫の特徴をよく示す「クリプトリサス」のイメージ復元図。頭部の前縁にたくさんの貫通孔が規則的に並ぶ。
上右:実際の化石にみられる「貫通孔」の様子。化石ではふさがっている。
下:
トリヌクレウス科三葉虫がエサを摂る様子の復元図。側面からみている。脚(外肢)を使って体の後ろから前に向かって水流を起こし、頭部前縁に多数開いた孔をネットのように使って、水流によって流されてきた微小なエサをこしとる様子が描かれている。

子供の時は、あまり印象の良くなかったトリヌクレウス科三葉虫ですが、その後、このグループの興味深い古生態などを知ると、形のユニークさがかっこよく思えてきて、いつしかお気に入りの三葉虫に変わってゆきました。そうなると、やはり自分の手で採集してみたい、という思いが湧いてきます。そこで、この三葉虫が採集されることで古くから知られるイギリス・ウェールズ地方に行ってみることにしました。冒頭で紹介した私が初めて手にした三葉虫の産地でもあります。

向かった先は、ウェールズ地方中東部のランドリンドット・ウェルズ(Llandrindod Wells)という街で、周辺にはオルドビス紀の地層が広く分布しています。そもそも「オルドビス紀」の名称自体が、歴史時代にウェールズ地方に住んでいたケルト人の部族名「オルドビス」に由来しますので、ここが「オルドビス紀の本場」です。

化石は街はずれにある昔の石切り場で採集することができます。この石切り場ではかつて石材として「スレート」が採掘されていました。かつての西欧でスレートは大変重要な石材で、主として屋根瓦に用いられました。またウェールズはスレートの一大産地として、19世紀頃まではイギリス国内はもとより世界中に輸出をしていました。ウェールズ北部では、スレートの大規模な廃坑跡が世界遺産にもなっています。現在では石材としてはあまり使われませんが、身近なところでは、料理を載せるプレートとして見かけることもあります。

「スレート」は泥が固まってできる「泥岩」の一種で、性質の違いによって頁岩(けつがん)・粘板岩(ねんばんがん)ともいいます。ハンマーなどで叩くと、薄くはがれるように割れるのが大きな特徴です。
スレートの石切り場跡
もともと平地だったところを掘り込んで、石切り場としたと思われる。この周辺はなだらかな地形が広がっており、川沿いを除いては自然露頭(人工的ではなくて、自然にできた崖)がほとんどない。
 
オルドビス紀層の様子
石切り場跡に露出している黒色頁岩(スレート)からなる地層。この地層はオルドビス紀中期(およそ4億6千万年前)の深海底で堆積したものである。露頭そのものは保護されており、許可なく崩してはいけないが、転石からの化石採集は許されている。
露頭から崩れた黒色頁岩(スレート)
薄く割れる性質がよくわかる。これらの転石をハンマーとタガネでさらに薄く割り、割った面を観察して化石を探す。全体的に化石はあまり見つからない。

岩を薄く割りながら化石を探します。日本には、化石が見つかるようなオルドビス紀層はほんのわずかしか存在しません。ここは私が化石採集を行ったことのある地層としては最古級となります。転石は大量にあるので、次々と岩を割って行くのですが化石は、なかなか見つかりません。

そもそも、この地層が堆積した環境は、酸素の少ない泥底の深海底なので、当時としても生物のいる場所は限られていたのです。そのようなこともあり、化石の出てくる層準はかなり限られると思われます。しかし、露頭は崩すことができないので、転石だけを観察していても、化石が出てくる岩に当たりをつけることは容易ではありません。それでも「筆石(ふでいし)」だけはたまに見つかります。

筆石とは、一般の方はほぼ聞いたことがない生物と思われますが、古生代の生物としてはたいへんメジャーな存在です。どんな生き物に所属しているかというと、「半索動物(はんさくどうぶつ)」です。と書いても、何だかわからないと思います。さらに情報を付け加えて、今生きている半索動物の例は、「ギボシムシ」や「フサカツギ」の仲間です。と言っても、さらにわからなくなると思います(笑)。筆石については、いつかこの連載で扱おうと思っていますので、今のところは、古生代に大繁栄した浮遊性もしくは固着性のへんな生き物、と理解してください。一方、「半索動物」はわれわれ人間の属する「脊椎動物」と先祖が共通という話もあり、興味深い生物であります。

                       益富・浜田(1966)改作
浮遊性の筆石の古生態イメージ図

図では3つの筆石が描かれているが、それぞれは1匹の生物ではなく、多数の筆石が集合して「一つの」筆石となっている。進化が早く、種ごとの生存期間が短いため、筆石の化石は地層の時代を調べるのにたいへん役にたっている(示準化石)。筆石はカンブリア紀から石炭紀まで生存した。世界中でたくさんの化石が見つかっているが、日本では高知県横倉山のシルル紀層からわずか1個が発見されているのみである。


今回発見された筆石(写真の幅8cm)
世界的にも筆石の化石がたくさん発見される地層は、今回のような遠洋の深海底に堆積した地層である。これらの筆石は海底に暮らしていたわけではなくて、海面に暮らしていたものが、死んでから海底に沈んだものである。筆石の体はもろかったと思われるので、深海底のような水流が弱く、泥がゆっくりと堆積するような海底は筆石が壊れずに化石となるのに適していたと考えられる。実際、浅い海の地層から見つかる筆石の化石は相対的に少ない。

この石切り場には、ほぼまる1日いたのですが、結局、三葉虫は破片が2個しか採集できませんでした。この産地の三葉虫化石は、見つかる層準がかなり偏在しているようです。また、以前は比較的豊富に採集できたとのことですので、採りつくされ気味なのかも知れません。そんな訳で気持ちとしてはちょっと不完全燃焼気味でしたが、初めて手にした三葉虫の仲間を自分の手で採集できたのは大きな喜びでした。

トリヌクレウス科三葉虫の頭部
左:実物。非常に小さいが、頭部の前縁に特徴的なフリンジがあるのが確認できる。
右:発見された化石の部位(赤色)を示すイメージ復元図



トリヌクレウス科三葉虫の頭部と胸節
左:実物。頭部前縁にある特徴的なフリンジが欠けている。尾部と頭棘も欠けているが、比較的全体の形がわかる標本。
右:発見された化石の部位(赤色)を示すイメージ復元図




フットパス
石切り場跡までは、私有地の牧場内を通過せねばなりません。日本では私有地に立ち入る場合、土地所有者の許可がいりますが、イギリスでは古来人々の通行路として使われていた道は「フットパス」と呼ばれ、たとえ私有地の中であっても、誰にでも通行権があります。今回も牧場のゲートを乗り越え、フットパスをたどって目的地まで行きました。写真は我々に気づいた羊の群れが移動してゆく様子。鳴き声が人の声みたいでした。


(館長 加納 学)

 

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