三笠市立博物館

館長コラム 「こんな化石も展示しています」第9回 ーべレムナイト(後編)-


このコラムは化石の持つ魅力について、当館に展示されている化石を紹介しながら、当館館長が独断と個人の感想を交えて、皆様に楽しくお伝えする連載です。

なお、当館はアンモナイトの化石の展示は非常に充実しており、またその解説についても詳しい解説板が展示室に設置されているため、このコラムではアンモナイトは取り上げません(たぶん)。それ以外の、一般の人にはあまり知られていないものの、実は魅力的な様々な古生物達について取り上げて行こうと考えています。

今回は、中生代の海洋で大繁栄したべレムナイト(イカ類)についての後編です。べレムナイトの暮らし、そして日本のべレムナイトと北海道で見つかっているべレムナイト以外のイカ類の化石について紹介いたします。
 

 べレムナイトの暮らし
 
べレムナイトの暮らしは現在の一般的なイカ類(例えばスルメイカのような)と同じようだったと考えられています。高速度で泳ぐことができ、沿岸から外洋に生息し、年単位の回遊も行っていたようです。墨を吐く能力があった事から、通常はそれほど深くは潜らなかったと考えられています(光が届く水深より深く潜ってしまうと、墨が目眩しとして役に立たないので、墨を吐く能力の意味がない)。

寿命については、諸説ありますが、現在の大半のイカ類と同じように、1-2年、長くて5年程度だと考えられています。そのように短い寿命が推定されているにもかかわらず、長さ20cm以上もある大きな鞘を作るべレムナイトも少なくない事から、べレムナイトの成長はかなり早かったと考えられます。このようなべレムナイトも含めてイカ類に特徴的な、早い成長パターンは「live fast die young(太く短く生きる)」型ライフスタイルと表現されることがあります。

いずれにしてもべレムナイトにとって、大きくて緻密な鞘を作るには大量のカルシウムが必要とされ、生理的に相当な負担だったに違いありません。現在生きているイカ類と比べて、こうした負担の大きさは、白亜紀末のべレムナイト絶滅の原因の一つとなったかもしれません。



べレムナイトの鞘(さや)の化石 (標本番号MCM-K006) 
学名:アクチノカマックス・プレヌス
時代:中生代後期白亜紀
産地:イギリス
所蔵:三笠市立博物館 「生命の歴史と化石」コーナーに展示中

なお、現生のタコや二枚貝などは北方系の種類の方が南方系よりも寿命が長い傾向があるので、べレムナイトについても北方系の方が長寿命だったとする考え方もあります。



べレムナイトは現生のイカ類がそうであるように、中生代の海洋生態系において大変重要な捕食者であり被捕食者であったと考えられています。

捕食者としては、実際にべレムナイトが魚やエビを捕らえた状態のまま化石となったものが複数発見されています。ただし、こうした化石は非常に稀です。

対して、被捕食者としての証拠は多く、サメや魚竜の腹部からべレムナイトの化石が見つかることがしばしばあります。ここでは、サメに食べられたべレムナイトの化石を紹します。この例ではたくさんのべレムナイトの鞘の化石がサメの腹部から発見されており、このサメの死因は、冗談のようですがべレムナイトの食べすぎによると考えられています。

 


ジュラ紀のサメ(ヒボダス)に捕食されたべレムナイト 
時代:中生代前期ジュラ紀
産地:ドイツ バーデン・ヴュルテンベルク州 ホルツマーデン
撮影地(下写真):レーヴェントール博物館 (Museum am Löwentor);ドイツ シュツットガルト市
上:ヒボダスのイメージ復元図。中生代に栄えたサメ類で背びれに棘を持つのが大きな特徴の一つ。日本ではこの背びれの棘の化石は大変めずらしく、岩手県久慈市から報告されているのみである。
下:軟骨などが保存されたヒボダスの化石(体長約1.4m)。ほぼ仰向けの状態で海底に沈んだヒボダスが地層中で地圧で潰されて平面的になっている。上の復元図は右側面を見ているが、この化石標本は仰向けの状態を上から見ているので、復元図とは見え方が異なる事に注意。復元図と化石の部位が比較対照しやすい部分を白矢印で示した。黄色丸内はヒボダスの胃の部分にあたり、約200個あまりものべレムナイトの鞘が見られる。



上写真の拡大 
このヒボダスの死因は大量のべレムナイトの鞘が消化管を通過できずに死亡したと考えられている。化石となった生物の死因が特定される例は珍しい。


日本のべレムナイト

最初に書いたように国内ではべレムナイトの化石はかなりレアな部類で、各地のジュラ紀層や前期白亜紀層から時折産出する程度です。それに比べてヨーロッパなどではジュラ紀の初め頃の地層から大量のべレムナイトの化石が見つかります。このことからべレムナイトが発生したのは、ジュラ紀初め頃のヨーロッパ地域に違いないと考えられていました。ところが近年になって中国の三畳紀前期の地層からべレムナイトが見つかり、さらに2022年には宮城県の三畳紀前期の地層から世界最古となるべレムナイトが発表されました。これらのことから、べレムナイトの故郷は、ヨーロッパ地域ではなく、東アジア地域の太平洋で発生し、その後急速に世界中の海洋に広がった可能性が非常に高いと考えられるようになってきました。詳しくはこちら
べレムナイトは国内では前期白亜紀層からのみ発見され、後期白亜紀層からは全く発見されません。これは日本のみならず北太平洋域共通の現象なので、べレムナイトは後期白亜紀には北太平洋からはいなくなってしまったと考えられます。そして二度と戻ってくることなく、白亜紀末にアンモナイトなどと共に地球上から絶滅してしまいました。


北海道のべレムナイト

べレムナイトは北海道の前期白亜紀層からごく稀に見つかることがあります。
ちなみに北海道でアンモナイトの化石がたくさん見つかるのは、蝦夷層群という地層(下図参照)で、これは前期白亜紀の終わり頃から後期白亜紀の終わり頃まで、約6,000万年もの間、堆積し続けていた地層群です。ただし蝦夷層群の中で化石がたくさん見つかるのは、後期白亜紀層で、前期白亜紀層からはあまり見つかりません。

蝦夷層群の分布地域

蝦夷層群の時代と地層 
蝦夷層群は「層群」、すなわち「層の群れ」と書くように、複数の「層」の集合体からなります。蝦夷層群は前期白亜紀の中頃から後期白亜紀の終わりまで、現在の北海道付近でおよそ6000万年近くの間堆積し続けた地層群です。特に後期白亜紀の地層からはたくさんのアンモナイトの化石が見つかり、北海道が「アンモナイト王国」と称される理由となっています。(上図の拡大
時代区分は、「紀」→「世(せい)」→「期」の順に区分が細かくなっています。白亜紀は前期と後期の二つの「世」に分けられ、さらにそれぞれ細かいアルビアンやセノマニアンなどの「期」に細分されます。

べレムナイトは国内他地域と同様、蝦夷層群でも前期白亜紀層からのみ発見され、後期白亜紀層からは全く発見されません。これは日本全体を含む北太平洋域共通の現象なので、べレムナイトは後期白亜紀には北太平洋からいなくなったことは確かです。

この理由について最近の研究では、前期白亜紀の終わりに急激な寒冷化が起こり、それまで日本付近にいた比較的暖かい海を好むべレムナイトがいなくなってしまったためだと考えられています。

ただし、当時、
北太平洋地域から北極を挟んで反対側にある北大西洋地域には寒冷な海を好むべレムナイトがたくさん生息していました。ですので、それらが北極地域を通って、寒冷化した北太平洋にまでやってくる可能性は大いにあり得ました。

しかし実際には、北大西洋のべレムナイトたちは北太平洋にまでやって来せんでした。それは当時ベーリング海峡が陸となり、アジアと北アメリカがつながっていたので、北極から太平洋への海の道がブロックされ、べレムナイトたちはやって来れなかったためだと推定されています。

下に示した三笠で発見されたべレムナイトは、前期白亜紀の終わり頃の地層(アルビアン)から見つかっているため、日本でほぼ最後のべレムナイトと見なすことができます。



三笠市で発見されたべレムナイトの新種 
(標本番号MCM-A990)
学名:ネオヒボリテス・クボタイ
時代:中生代前期白亜紀アルビアン(蝦夷層群 日陰の沢層)
産地:三笠市
所蔵:三笠市立博物館 「蝦夷層群のさまざまな化石」コーナーに展示中
 白線は1cmを示す
A:レプリカ。鞘の部分。採集・クリーニングされた当時の状態を示す。
B:鞘の縦断面の研磨標本。種類を鑑定するために鞘の縦断面を観察する必要があったため、切断・研磨された標本。
この化石は窪田 英氏によって採集、当館に寄贈された標本を児子修司博士(広島大学)と故 早川浩司博士(元当館研究員)が研究した結果、新種のべレムナイトとされたもの。種名の「クボタイ」は発見者の窪田氏の名に因んでいる。これは三笠市から報告されている唯一のべレムナイト化石標本である。


北太平洋域でべレムナイトの地位を引き継いだ?イカ類たち
前述のように、蝦夷層群の後期白亜紀層からはべレムナイトは見つかりません。ただ、それ以前の前期白亜紀には見られなかったイカ類の仲間の化石が見つかるようになります。

これらの代表の一つが「ロンギベルス」というイカ類です。ロンギベルスはべレムナイトと異なり、大きくて丈夫な鞘を持っていなかったと考えられています。そのため気房の部分だけが化石として見つかります。ロンギベルスは北海道のみならず環太平洋地域で化石が見つかっていますが、まだ詳しいことがよくわかっていません。ただし最近の研究でロンギベルスは、現在の海洋で繁栄しているイカ類の直接の祖先に近いものと考えられるようになっています。そうした事などから、現代型のイカ類の起源も、べレムナイトと同様に北太平洋地域にあるのではないか、という学説が述べられるようになっています。


 
ロンギベルスの気房 (標本番号MCM-A645)
学名:ロンギベルス・マツモトイ
時代:中生代後期白亜紀サントニアン (蝦夷層群 羽幌川層)

産地:北海道 苫前町
所蔵:三笠市立博物館 「蝦夷層群のさまざまな化石」コーナーに展示中
向かって右側が先端側になる。先端は欠けており、この標本は全体の5分の2くらいが保存されているものである。気房表面の殻が剥離しているため、隔壁が明瞭に見られる。べレムナイトと異なり、頑丈な鞘がなく、化石として残るのは壊れやすい気房しかないため、見つかる化石は比較的少ない。また大きくても長さ5cm~10cm程度がほとんどで、べレムナイトに比べるとかなり小柄なイカ類であったと想像される。以前は「ナエフィア」属とされていたが、現在では「ロンギベルス」属が正しいとされている。


ロンギベルス属以外にも、殻を持ったイカ類として、より原始的なコノテーチスなどもいました。コノテーチスもべレムナイトのような大きい鞘は持っていませんでした。コノテーチスについてはまだ不明な点が多くよくわかっていません。蝦夷層群から見つかる化石としてはかなり稀な部類となります。



コノテーチスの気房 (標本番号MCM-A1169)
学名:コノテーチス・ハヤカワイ
時代:中生代後期白亜紀チューロニアン (蝦夷層群 佐久層)

産地:北海道 小平町
所蔵:三笠市立博物館 「蝦夷層群のさまざまな化石」コーナーに展示中
A1:気房側面。縞々に見える色帯が保存されている。
A2:気房先端側から見た状態。連室細管がはっきりと見られる。

白破線で示したように気房は牛の角のような曲がった形をしていたと考えられている。
この標本は、高橋達弥氏によって採集・当館に寄贈された後、ダーク・フックス
博士(ベルリン大学)と児子修司博士(広島大学)によって研究され新種とされた(この標本はパラタイプ;副模式標本)。種名の「ハヤカワイ」は元当館研究員の故 早川浩司博士に献名されたもの。

この他にも、蝦夷層群には殻を持っていないイカ類が存在していた可能性がありますが、殻を持っていないイカ類は、化石として残ににくいので、その実態はよくわかっていません。

ただしイカ類の顎(カラストンビと言います。石灰分を含んだキチン質でできているため化石として保存される可能性が高い)の化石が見つかることがあります。そうした顎の化石の中には、現在のダイオウイカよりも大きいと推定されるイカ類の顎の化石も見つかっているので、研究者たちが現在想像しているよりも、実際には多様なイカの仲間が当時の北太平洋地域に生息していた可能性もあります。

世界的にも中生代のイカ類についてはわかっていないことがたくさんあるため、研究の進展が大いに期待されている状態です。そうした中で、世界の海洋で栄えている現代型のイカ類は北太平洋地域から始まった、と言う説が有力となりつつあるため、北海道の蝦夷層群から見つかるイカ類の化石は、イカ類の進化を解き明かすために世界的にも重要な資料となることが期待されています。

(べレムナイトの項終わり)


 余 談:「化石の密集層のでき方 ー地層の積もる速度がカギとなるー」

前回の余談で、ジュラシック・コーストのべレムナイト密集層について紹介しました。べレムナイトに限らず、しばしば密集した状態で化石は見つかります。こうした密集層のでき方については色々なパターンがあり、古生物学上の重要な研究課題となっています。今回は、でき方の一例を紹介したいと思います。

以下に前回と同じ、ジュラシック・コーストのべレムナイト密集層の写真を示します。
この写真を一般の方々に見せたときの反応は、「たくさんのべレムナイトが暮らしていたんだねえ、きっと群れていたんだね」と言うようなものが多いです。



もちろんそうした場合もありますが、この場合、そうした解釈とはちょっと違っていて、実際には、これだけたくさんのべレムナイトが同時に暮らしていた訳ではないようです。もしかすると、個々のべレムナイトの死亡時期は数百年、もしかしたら数千年、数万年もずれているかもしれません。そのため、ここでは生きていた時期の異なるべレムナイトが混合して「密集層」となっている訳です。

こうした密集層のでき方については、地層の「堆積速度」、つまり単位時間あたりどれくらいの砂や泥などの堆積物が海底に降り積もるのか、と言うことが大きく関わっている場合があります。

下の図に、堆積速度の違いによって、地層中の化石がまばらに見えたり、密集して見えたりする現象が起きることを示します。



地層の堆積速度が遅いと化石が「密集」する(その1「堆積物の欠乏」)
上の図は海底に泥が堆積する速度が異なると、べレムナイトの量の見え方にどのような変化が生じるのか模式的に示したものである。
上図の上段:べレムナイトが暮らしている海と海底を示す。海底上に描かれているのはべレムナイトの鞘。この海底において二つの異なる堆積速度を仮定し、Aは100cm/1万年、Bは10cm/1万年とする。また、どちらの海底にも1000年に一匹づつべレムナイトの死骸が落ちてくるものとする(1万年間に合計10個体)。1万年後の様子をA,Bの図に示した。
A:海底には厚さ100cmの地層が堆積し、10個のべレムナイトは地層中に散在している印象を受ける(←量が少なく見える)。
B:海底には厚さ10cmの薄い地層が堆積しており、10個のべレムナイトは集まっている印象を受ける(←密集して見える)。

上の図は結論として、
・べレムナイトが同時に大量に暮らしていたから「密集層」ができたとは限らない。
・堆積速度が速いと、べレムナイトが堆積物に「希釈」されて、数が少なく見える。
・逆に堆積速度が遅いと、べレムナイトが堆積物に対して相対的に「濃縮」されて、数が多く見える。結果として「密集層」として認識される事になる。
ということを示しています。


それでは、こうした堆積速度の減少が実際に起きていたかどうか、どのように判定するのでしょうか。地層を詳しく観察すると、地層が堆積した時にできる「堆積構造」と呼ばれる構造が見られます。この構造を観察すると堆積速度の減少が起きていたことを読み取ることができます。

また、化石密集層の中から見つかる化石を直接観察してわかることもあります。

例えば、
冒頭で紹介したべレムナイトの密集層から見つかるべレムナイトの化石の表面には、しばしばゴカイ(ミミズなどの仲間)などの付着生物が見られることがあります。

付着生物がべレムナイトの表面に付着していることは、べレムナイトがすぐに地層に埋まらず、長い時間海底に露出していた証拠になります。なぜならば付着生物の幼生がべレムナイトに付着してから、大きく成長するまでにはそれなりの時間が必要です。仮にべレムナイトがすぐに地層に埋まってしまったならば、付着生物は成長する間がありません(つまり存在し得ない)。


下に付着生物が見られるべレムナイトの実例を示します。



べレムナイトの鞘に付着した「ゴカイ」の棲管(せいかん)
ゴカイとはミミズの仲間で、釣り餌などに用いられる。「棲管」とはゴカイが生息していた管のことで、ゴカイ自身が作ったものである。ゴカイそのものは化石になりにくいが、棲管は石灰質なので化石として残りやすい。
ゴカイはべレムナイトの死後、軟体部(肉)が腐って無くなってから付着したものである。べレムナイトの鞘は軟体部に覆われ、海水に露出していないので、生きている時にゴカイが付着することはあり得ない。
A:ゴカイの棲管が付着したべレムナイトの鞘。採集場所は冒頭写真の密集層付近(個人蔵)
B:Aの写真の黄枠部分を拡大。うねったり、円を描いている棲管が見られる。棲管は本来円筒状だが、この標本は天井部分が割れて内部が見えている。
C:ホタテガイ(現生)に付着したゴカイの棲管(赤矢印)。べレムナイトに見られるものと同様の物である。ホタテガイの殻は海水に露出しているので、べレムナイトの鞘とは異なり、ホタテガイが生きている時にもゴカイが付着することができる。



堆積速度に関係するもう一つの密集パターンとして、一旦堆積した地層が「侵食」を受けた結果、化石が「濃縮」される例を下に示します。



地層の堆積速度が遅いと化石が「密集」する(その2「吹き分け」)
上の図は一旦堆積した地層が、侵食を受けた時に化石の量の見え方にどのような変化が生じるのか模式的に示したものである。
A:海底に1万年間に厚さ100cmの地層が堆積し、その中には10個のべレムナイトが散在している状態を示している。
B:海底の堆積物が強い水流を受けて侵食されている様子を示す。砂や泥の粒子は水流で流されてもべレムナイトの鞘は重いので流されずにその場に留まる。そのため侵食が進むに従って海底上には地層から洗い出されたべレムナイトが増えてゆく。
C:最終的に厚さ90cm分の地層が侵食されたため、海底面上には死亡時期が最大9千年も異なるべレムナイト10個が「密集」することとなった。

なお、この場合、一旦は堆積速度が早くても、侵食によって堆積物が削られて地層の厚さが減少しているため、全体としての堆積速度は「遅い」と見なされる。

上の例でも、べレムナイトがやはり長い時間海底上に露出する事になるので、付着生物が付着していることがしばしばあります。また、このように侵食の影響を受けている時は、べレムナイトが水流で流され、他のべレムナイトなどにぶつかったりして打撃による破損が生じていることもあります。

もし、べレムナイトが死んだその場所で、何も起こらずそのまま化石になったならば、打撃などによる物理的な破損は見られないはずなので、こうした破損の存在と特徴も、化石密集層がどのように形成されたのか、ということを推理するヒントとなります。


今回、化石密集層のでき方の一例を紹介しましたが、これはほんの一部のパターンに過ぎません。実際には様々なでき方があり、複数のパターンが複合している事もめずらしくありません。



嵐によって形成された二枚貝化石の密集層
時代:中生代後期白亜紀セノマニアン (蝦夷層群 三笠層)

産地:北海道 三笠市
所蔵:三笠市立博物館 正面玄関前(屋外)に展示中
白く見えるのは、二枚貝化石の断面。三笠層は水深の浅い海底で堆積したため、嵐によって形成された二枚貝化石の密集がしばしば見られる。水深の深い海底は、海面上で嵐が吹き荒れても、水面から距離があるためほとんど影響を受けないが、浅い海底では、嵐によって起こされた大波など、水流の影響を直接的に受ける。そのため海底の堆積物がかき乱されると同時に二枚貝の殻などが流し集められてこのような密集層が形成されることがしばしばある。

さらに、地球規模で化石密集層ができやすい時代(時期)、ということがあったこともわかっています。ここでは詳細は省きますが、これには全地球的な海面の高さが関係していると考えられています。

地球史上、海面の高さは変動を繰り返していることがわかっています。海面の高さが変動すると(陸地が増えたり減ったりする)、陸上の土地が侵食される量が変化し、その結果供給される堆積物の量が変化したり、海底が侵食されたりする現象が発生します。

海面の高さが堆積物の減少や海底の侵食につながるような時期には、今回例にあげたような化石密集層が形成されやすくなる、という考え方です。

地球全体の環境変動が個々の化石密集層の形成に関係している、ということが興味深いですね。



(館長 加納 学)

  

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